パリ・コミューン

1871年3月半ばから5月末までパリで「内乱」が起こった。我が国ではパリ・コミューンと言われ、社会主義体制のモデルとされている。同年5月最後の週は「血の一週間」と言われ政府軍によって流血の大弾圧がなされた。そのモニュメントがパリ、ペール・ラッシェーズ墓地にある。上の写真が墓地北外壁内。下写真が墓地外壁面。


パリ、ペール・ラッシェーズ墓地