昨日より少しまし

○左脚不調。昨日はぶらぶらという感じで力が入らない感覚が強かったが、今日は脚の筋肉が突っ張る感覚。従って今日の散歩はスーパーへの往復+αとした。昨日が5000歩で悲鳴をあげたけれど、今日は6000歩で少し余裕を持つことができている。それにしても春・夏場のあの調子の良さはなんだったんだろう。冬場の寒さに神経・筋肉が働きにくくなっているのだろうか。あと、血圧の高いのが続く。参ったな。
○安川寿之輔氏から「ミニコミ誌 さようなら!福澤諭吉」が送られてきた。創刊準備1号とある。返礼に最近著を謹呈。今夜礼状をしたためる。「ガセネタが世界を走る」他を同封する。
○安川氏への書簡(ながながと)
安川寿之輔 先生
 たいそうご無沙汰致しております。お元気でご活躍のご様子、とてもうれしく存じます。
 このたびはミニコミ誌『さようなら! 福沢諭吉』創刊準備1号をご送付くださり、ありがとうございました。先生の徹底した諭吉論展開に喝采を上げ続けてきましたが、今回もまた、拍手喝采を送らせていただきます。後ほど事情を詳しくいたしますが、現在、根を詰めて少し長い時間を取って書物を読むことが難しい状態ですので、ぽつりぽつりと拝読致します。
 まずはこの3月末、22年間勤めました学習院大学を定年70歳を以て退職致しましたこと、ご挨拶を申し上げます。学習院大学に着任した時には学習院大学教職課程という組織に属したのでしたが、最後の年度は、学習院大学文学部教育学科が創設されたことに伴い、同学科所属教授として、退職致しました。
 学習院大学在籍中は、しばらくの間、新教育学講義(編著)、モラル・エデュケーション(編著)、新生活指導(編著)、新特別活動(編著)など、主として教員養成テキストの編著に関わる仕事に追われ、これと言ってまとまった自分の仕事をすることができないでおりましたが、2000年度、サバティカルによるフランス共和国滞在、2009年度、同じくジャマイカ共和国、フランス共和国滞在での研究を契機として、主としてフランス共和国での調査研究による研究、『知的障害(イディオ)教育の開拓者セガン−孤立から社会化への探究』(2010年)、『19世紀フランスにおける二つの教育のための戦い セガン パリ・コミューン』(2014年)を上梓することができました。フランス語も19世紀論もまったくの独学によるものですが、同研究テーマに限れば、先行研究を大幅に乗り越えたと自負しております。2014年の単著は、昨日、先生のお手元にお送りするよう、出版社・幻戯書房に指示致しました。ご受納下さいますよう。
 じつを申しますと、退職の少し前、本年2月19日、脳梗塞に倒れ、入院治療の仕儀となりました。診断名は構音障害、左半身不全。3月末に退院し後は自宅療養となり、もっぱらリハビリの毎日を送っております。言葉は、興奮したり、長時間話し続けると、発音がうまくいかなくなる症状が現状です。日常会話は、多少他人様に聞き取りにくい場合もあるようですが、まあ、円滑であると思っております(リハビリの成果です)。身体不全の方ですが、端的に(外的に)現れているのが、手足の機能不全。左手と左脚がうまく機能しません。少しの外出は可能ですが、杖を頼りとし、休憩を多く取らないとなりません。つまらない身体になってしまいました。従って、一日の多くを自室で過ごしております。
 外形的には分からない問題として、左視力ならびに視覚がまさに機能不全であり、ものが大きくゆがんで見えます。色の識別、明かりの感受は従来と変わりがないのですが、「見え」という点では鮮明さを大きく欠く状態です。従って、ちょっとずつ時間を取って、読書をしております。その他、感情の起伏が以前に増して、大きくなりました。
 こんな有様ではありますが、リハビリを怠ることなく進めております。長期の構えで、身体の少しもの進歩を信じております。
 次は身内の問題です。7月末に、妻・弘美の母・富が老衰のため死亡致しました。93歳でした。このこと故、年賀のご挨拶は遠慮させていただきます。

 「セガン研究」は、先生もご承知のように、私の研究課題ではありません。清水寛さんが、退職記念のための「セガン研究」に資料等の検索の協力がほしいと言われたことがきっかけでした。その頃、清水さんが盛んに言われたのは、「安川さんは、清水さんがセガンはルソー『エミール』の影響を受けたなんて言うが、障害児教育者が障害者差別の本から影響を受けたなんて、って言うんだよ。」ということでした。そして、清水さんはセガンの論から発達論を、『エミール』から発達論を引き出し、その類似性を緻密に検討していました。セガンもルソーも感覚主義的発達論の立場ですから、影響云々は別にしても、当然、類似性の構図は成立するのです。
 私は、まず、影響を受けたことをセガン自身が示しているという文献(1875年著書に綴られている英文=未邦訳)を読みました。確かに、父親が『エミール』の影響を受けて自然の遊びをセガンに与えた、と書いています。この点で清水さんおよびその他のアメリカ、日本のセガン研究者が言うことに間違いがありませんでした。しかし、彼らセガン研究者は、セガンの綴っている文章のクリティークを一切しておりません。言ってみれば「セガンが言っているのだからそうなんだ。」という立場です。多少とも安川先生の研究方法論に学んでいるつもりの私にとっては、文献クリティーク無し、という方法論はあり得ないことなのです。セガンのこの一文は「幼少期」を「回想」しているわけですが、彼の「幼少期」の時代・社会背景、保育・教育背景の史実とは大いに矛盾しているのですから、当然、セガンの「回想」は「思い違い」を通り越して、何らかの都合で創りあげたものであることが考えられます。
 この事例のように、セガン研究者は、その他を含めて、自らが創りあげた「セガン像」にマッチするように、それに都合のいい文章を拾い上げて、あるいは解釈、誤訳をして、セガンを論じた「フリ」をしている、ということが明らかになりました。そのことは私をして「セガンの実像を明らかにすべき時ではないか。生誕200周年を迎えようとしているのだから。」という思いを強くさせ、研究を持続してきました。その第一著作が『知的障害教育の開拓者セガン〜孤立から社会化へ』(新日本出版社、2010年)であり、さらに、セガンの知的障害教育は19世紀の教育専門職としての自立の問題を大きく含めているという観点を正面に押し出した第二著作『一九世紀フランスにおける教育のための戦い セガン パリ・コミューン』(幻戯書房、2014年)であります。
 同封致しましたのは、退院後ぼつぼつと書きためているものの一端でありますが、清水寛さんの「支配下」でなした「セガン研究」を反故にしたいという思いから綴った随想「ガセネタが世界を走る」、セガン研究の今後の当面の課題意識から綴った随想「前近代と近代との狭間」であります。おついでの折にでもご笑覧たまわれば幸いです。

 長々と綴り、ご不快でありましたでしょうけれど、現在の私の心身の状況をお伝え致しました。
草々
            2014年12月11日
                            川口幸宏