空白の一日

○7時起床。ただし、夜中12時に布団から起きだした。
○今日のプロヴァンス語学習 ミステラスよりラマルチーヌへの献辞
Je te consacre Mireille : c'est mon cœur et mon âme; ―c'est la fleur de mes années.: C'est un raisin de Crau qu'axec toutes ses feuilles―t'offre un paysan.
君にミレイユを献じる。それは我が心、我が魂。それは我が積年の精華。それは葉をたくさんつけたクロの葡萄。君に農夫一人寄こしてやろう。<プロヴァンス語表現>
Te counsacre Mirèio : es moun cor e amo, Es la flour de mis an, Es un rasin de Crau qu’emé touto sa ramo. Te porge un païsan.
○エッセイ1
 明日「セガン」がぼくの手から離れる。2003年春、「セガン」なる言葉が突然僕の耳に飛び込んできてかれこれ12年の付き合いも、今日でお終いとなるのだな。
「神聖にして冒すべからざる存在」としてのみぼくの前に現れた「セガン」も、拝し奉りながら、ちらっと指の間から覗き見る「不敬」を繰り返していくうちに、指の隙間がだんだん広くなっていき、それとともに、「あれまあ、セガン君、どうしちゃったのさ、兵隊検査に乙種合格して徴兵されながら兵役についてないじゃないの」というような、「兵役逃れ」青年である実相が見えたり、世間様がうらやむような秀逸だったのに、ぼんくら青年以下の怠け大学生であることが公文書にはっきり記録されていたり、という、とてもじゃないけれど、初期の神々しさはすっかり消え失せ、よっ、ご同輩!と、わが身来し方のヨレヨレぶりが、それもまあ、あっていいのかな、セガンさんもそうだし、などという開き直りを生み出してもくれた。
 超凡人セガンに潜んでいた、教育や実社会に対する俊逸なる知性と技とにあいまみえるようになって、ぼくは、やっと「セガン」にほれ込むようになった。そのころにはすでに「セガン教」の熱は、世間様から寂しく冷めていた。・・・・
 人の生き方がこれほど面白い、素敵だと思わされる机上の出会いと交流も、とりあえず終幕となる。
○エッセイ2
頭の中を流れる「さすらい」
そう、小林旭(氏?さん?尊称はどうつけるのかなあ)の持ち歌
職業柄いろんなところに呼ばれて、さあ、ここで一つ何か、と儀礼的に催促されて、歌う。頭出しは二番から。
「知らぬ他国を流れながれて・・」
蛮声とわきまえを知らない態度に、場はシラケて、二度とご指名が無いから、この選曲はなかなか便利。
・・・ああ、昔の光今いずこ♪
ちゃいまんがな。
***
フランスに初めて旅をしたのは1996年。そしてプロヴァンス語なるものにあこがれを持ったのだった。やっと、束縛されずに、活字でお目にかかる。
ちょっと、ぼくの知っている日本語文化に当てはめてみた。
「君にミレイユを献ず。そは我が心、我が魂。」
原文
”Te counsacre Mirèio : es moun cor e amo”
絶対、日本語はニュアンスが違って表記されてますな。
あの、プロヴァンス地方の、赤の色がこもってないもの。陽気な陽光が感じられませんもの。
さあ、今日からぼくの「さすらい」が始まる。ルンルンルン♪