『フランス人の自画像』とセガン 事始め

○雨のため引きこもり
○表題をフランス語であらわすと、‘Les Français peints par eux-mèmes’ et O.-E. Séguin となる。19世紀半ば以前のフランス・パリにおける等身大のセガン像描写の試み
○まずは、ぼく自身の「セガン研究」における誤り(今後、気づき次第羅列していく)
☆清水寛編著本における多数の誤り。
 1.T先生への書簡に次のように記した。
 「セガンの生育に関わる御記述に使用された主たる文献が清水寛編著『セガン 知的障害教育・福祉の源流―研究と大学教育の実践』(全4巻、日本図書センター、2004年)の第4巻であり、とりわけその「セガン関係年譜」のフランス篇であることが本書簡をしたためる理由となります。と申しますのも、同稿の草稿は私が執筆したものであるからです。私の意にそぐわない記述内容となっている箇所が多くありますが、同書はあくまでも清水寛先生のセガン研究書であることから、清水先生の御意に沿って草稿を変更しております。その点では、T先生がお書きになっている「清水寛ら」というのは間違いのないことかとは存じますけれども。
セガン」の業績等まったく知らない、またフランス語さえ学習を始めたばかりの状態であった2003年5月から、清水寛先生のご依頼・ご要望を受け、セガンのフランス時代について文献調査等を始め、それから半年後の同年11月末に「最高水準の年譜を作成して下さい」とのご依頼を受けたのが、本年譜作成のバック・グランドです。年譜作成に費やした時間はほぼ1ヶ月という短さでした(それでないと出版時期に間に合わないという事情からです)。2003年夏に「清水寛先生と行くルソー・セガン・21世紀平和への旅」参加者の一員としてクラムシーを訪問しましたが、私自身が研究テーマとしてセガンを対象化させる意識は全くなく、清水先生のご依頼・ご要望にお応えするだけというのが当時の私の主体性でありました。
 このような事情から、年譜は調査未了、資料不十分、問題意識未熟という恥ずべき問題が多く、T先生が疑念をお出しになるのも宜なるかな、と存じます。現在の私としてはこの年譜はなかったことにしたいという思いで一杯です。」(2011年9月6日記)
 2.セガンの生年月日を1812年1月12日としたこと。 第4巻106頁 フランス文字筆記体判読の誤りからきたもの。
☆拙著『一九世紀フランスにおける教育のための戦い』(幻戯書房)における誤記述 84頁
 ブルヌヴィル編集になる特殊教育文庫第3巻はセガンの『教育に関する報告』等の英語からフランス語への翻訳者をブルヌヴィルとしたが、A. Boutillier (Dr.)の間違い。BNFにて確認。
セガンに関する俗説の出所
 今にいたって、何でそんなことを言うの?というような説(俗説)が,ぼくがセガン研究を手がけ始めたころにごろごろしていた。それらのうち、日本人研究者の間で「定説」とされていた(今でもそれにこだわる論がある)事柄について、取り上げてみたい。
1.生地・家族関係に関して
(1)(フランス・ニエヴル県)クラムシーであることは出生証明書原典写真提示を,前掲清水寛編著本第4巻4頁、拙著『知的障害教育の開拓者セガン−孤立から社会化へ』(新日本出版社、2010年)53頁においてなしているのだから、今ではそれ以外の説が出ることなどあり得ないはずである。ところが、津曲裕次「セガンとその教具について」(『モンテッソーリ研究』第43号、2010年)は、同稿を以て「セガンの生涯と業績についてはほぼ明らかにすることができた」と、筆者は胸を張っているが、生地をオーセールとしているのである。生地=オーセール説は、おそらく、セガンの訃報記事(『New-York Daily Tribune』1880年10月29日号)に依拠したものと思われるが、なぜ、そんな古い情報にしがみつくのか、ぼくにはさっぱり分からない。津曲先生も清水寛編著本に寄稿しておられるし、当該の訃報記事に対して、編者解説で「セガンの生地はオーセールではなく、クラムシーである」と記されているのだから。
(2)「代々が医者の名門」説をぼくは新著で、それは1880年10月31日に執り行われたセガンの告別式における友人L. P. ブロケットの追悼の辞の理解の誤りであることを、新著で明らかにした。そればかりか母系についてもセガ研究史で始めて論及した。しかし、初めてではなかったのだ。津曲裕次は前掲文献で、「・・・当地の高名な医師T. O. セガンと敬虔なキリスト教徒の母との間に生を受けた。セガンは、・・・」という。セガン自身は家族関係を語っていないので津曲の言説の根拠を知りたいところである。ひょっとしたら、ロマン・ロランの曾祖父の日記に綴られているのだろうか。記録魔と言われたロランの曾祖父は、クラムシーで一代限りのセガン家の描写にも及んでいるのかもしれない。クラムシーのロラン・ロラン博物館に蔵書されているから、点検することは不可能ではない。しかし、津曲は、表現者として、きちんと責任を取る必要があるだろう。
○ほんの少し、頭が研究的に回るようになってきたようだ。
○達成感が得られないフラストを抱え込む。いい教師になるだろうな。
○本日の心象風景はお休みします。