『フランス人の自画像』とセガン 2

○本日の心象風景 雨上がりのユリ

○早朝風雨強し。本格的な梅雨空。
セガンの幼少年期の「自画像」
 「セガンは自身の生育に関わることはあまり語っていない。回想記述が断片的に残っているが、それが生誕の地クラムシーでのことなのか、あるいは母方祖母の家に身を預けられていた時のことなのか、明記されていないのがほとんどである。セガン自身による史実の誤認もある。そうしたことから、セガンの生育史については、いわば、寓話化されて語られてきた観がある。今もなお曖昧模糊としていることは否めない。戸籍調査でセガンの父方母方の社会階層が明確になったことによって、19世紀前半期のフランス社会におけるブルジョア階級の子育て風習や生誕の地クラムシーの産業・経済・文化状況(「貧困」の一言につきる)などを重ね合わせると、セガンの幼少年期について、おおよそ次のようなストーリーを描くことができるだろう。
 乳児期は住み込み乳母によって育てられ、幼少年期は里親の元に身を預けられて個人教授によって教養―古典を中心―の基礎を与えられ、やがてオーセールの名門コレージュで学ぶようになった。
 これが、セガンがパリに出てエリート予備軍として旅立つ準備―幼雛の巣の中の羽ばたき期間であった。」(2009.11.11 『「セガン−その半生」レポート)より。 2010年の『知的障害教育の開拓者セガン−孤立から社会化へ』第1章の根幹をなす。)
○父は医学博士30歳 クラムシーの入植者、母は生糸商家の娘17歳 オーセールの入植3代目にあたる。二人の結婚はどのような意味を持つのか。ギ・ティエイエ(セガン資料集編者)によると、持参金婚であった(Y. Pélicier et G. Thuillier: Un pionnier de la psychiatrie de l’enfant Edouard Séguin(1812-1880). 1996. Comité d’histoire de la Sécurité sociale.)。鹿島茂によると、この時代、貴族やブルジョアジーの結婚は恋愛結婚は稀で持参金婚がほとんどであったという。持参金額は33,000フラン。現在の日本円額に直すと、3,3000,000円ほどになるようだ。この持参金額がが多いのか少ないのか、どの程度のものだったのか、これからの調査課題だ。二人の結婚は1811年のことだから、両家のうち、エドゥアールの母(マルグリット・ユザンヌ)方の祖母マリ・アーネス・ペロニエだけが二人の結婚を見守ったことになる。この時代の持参金結婚には新夫婦となる二人のそれぞれの「家」の同意が必要とされていたようで、二人の婚姻届出書にはその旨の記述が見られる。つまり、個人契約社会に突入していたといえども、「家」を背負って生きていくのが当然でもあったのである。
セガンの修学歴を考える上で。幻の原稿(「近代初頭フランスにおける救済院・施療院内教育とイディオ(知的障害)教育)」)冒頭部より。
「18世紀の経済学者であり哲学者のアダム・スミスは、「教育を受けた民衆は、無知蒙昧な民衆に比して、はるかに礼儀正しく、秩序を重んじ、自尊心も強い。政府の政策に対して無法な、あるいは無用の反対をするように煽動されることも少ない。」旨を述べた。そこでいう教育とは、国家・社会の安寧、治安、秩序づくりのための労働者教育、国民教育のことであり、いわゆる近代学校創設への道を拓いている。読・書・算という3R’sの教育と宗教的情操の教育を重んじる教育が、身分も財産も持たない一般民衆に義務として課せられ、普通義務教育として制度化されるのは1833年のことである(「ギゾー法」)。それ以前は、教会各小教区の修道士たちによる教育が為されていた。貧困者に対しては無償であったとの公的報告がある(Rapport sur l'état des hopitaux, des hospices. et des secours à domiciel, à Paris. 1816. p. 359. Écoles de Charité の項)。その一方で、封建的身分制の残像下に生きる人々、近代という時代のヘゲモニーを握る新興ブルジョアジーたちは、中等教育に力を注ぐようになる。」 ギゾー法は制度的区切りでしか無く、実体は宗教者による初等学校(初等教育)は1880年頃まで続いていくことは押さえなければならない。このシステムを壊そうとしたのがパリ・コミューン。新著に詳しくした。
 この引用文記述の最終行がセガンの生育史にあてはめて考えられるという立場。近代普通教育史でのみ考えられてきたセガンの幼少年期像を覆す。
○しかし、セガンの修学を記録する公文書は2010年の拙著に記したのみ。やはり、公教育としての初等教育は受けていないと判断してしかるべきだろう。それがまた、当時のブルジョア階層の「自画像」でもある。