昨日の「三志会」での話題を発展させて

○「姓名」 苗字(ファミリーネーム)と固有名(ファーストネーム)しか思いつかない文化圏で生きてきたぼくにとって、「ミドルネーム」というものがあることを名簿の中に見つけた時、「それは戸籍名なのか?」という質問を当該者にぶつけたものだ。そしてフランス文化を学び始めたらファーストネームの前綴り、だの後綴りだのというのがあるのは当たり前、教育史では夙に名の知られるコンドルセなど、フルネームで暗記するのは至難の業の人が多いのに驚かされる。Marie Jean Antoine Nicolas de Caritat, marquis de Condorce(コンドルセ侯爵マリー・ジャン・アントワーヌ・ニコラ・ド・カリタ)自分の名前に家系を背負わせているのだという。
 世に、「セガン」という名で知られている教育史上の人がいる。エドゥアール・セガンもしくはエドワード・セガンと、彼の業績を説明するときには最初に綴るのが一般的だ。フランス戸籍名はオネジム=エドゥアール・セガン(戸籍では、オネジム=エドゥアールがファーストネームとして届けられている)なのだが、それで語られることはまず無い。せいぜい、エドゥアール・オネジム・セガン、だ.しかし、これは正確に言うと間違いなのだろう。当のご本人も、戸籍名で論文などの署名をしたことはないはずだ。つまり、「オネジム」を欠落させているのである。「オネジム」というのは父親のファーストネームの後綴りになる。
 それでぼくは首をひねった。男性中心社会を連綿と続けてきた我が人類史は、「父親」という存在(権威)を常々語り、自身のレゾンデートルを説明する。我が国なども、父親不在の家族を「欠損家族」などと公式用語として長く言い習わしてきたように。(ついでに、ぼくの公的記録(学校記録)には「欠損家族」と明記されていた)
 その父親のファーストネームの一部つまり父権の象徴たる「オネジム」を、セガンはなぜ使わなかったのか。はなはだ興味引かれる問題としてレポートをしたことがある。彼の抵抗精神は「父権」象徴を捨て去ったことと関係あるのだろうか、と。これに対して、さる先輩研究者は拳をテーブルにたたきつけて、「セガンの家族・家庭に何か欠点でもあったというのですかっ!」とぼくを叱りつけた。その割には、彼を含めてセガン研究の先輩たちは、「セガン家は代々医学博士の名家である。」とほめ称え(事実に反することなのだが)、セガンの母親の名前、出自さえ知ろうとしてこなかったのだ。
 ぼくがセガン研究に強いこだわりを持っている出来事の一つである。
○フレネ研が会報をアーカイヴ化の作業をしているが欠号がある、所有者はいないか、という広報を出したので、所有冊子を点検する作業を行った。ついでのことにぼくの原稿が掲載されている号も調べてみた。記憶にあるのは計5号のはずなのだが、あと1号が見いだせない。1996年の伊豆合宿での記念講演のはずだ。もう一度確かめたい。