三志会

○12時から「十代目 彌左ヱ門 アトレヴ秋葉原店」にて、2010年に開いて以来になるカックン、ツックン、ぼくの「三志会」を開催。要は「三重県一志郡久居町」出身の3人の会。ぼくにとっては本当に数少ない心を開くことができる中学、高校以来の親友だ。ツックンなどは我が家にちょっとの間だけど身を寄せていたこともあり、ぼくの思春期ー親子関係の具体−を知る「当事者」でもある。今日もそのことに裏打ちされて、ぼくがセガンの「家族関係」に強い関心を持ってきたことを、よく理解してくれた。セガンが、なぜ、ファーストネームの前綴りーオネジム−を絶対にサインしなかったかは彼の家族認識の表れではないか、ということに、賛成反対ではなく、共感をしてくれた。
 カックンはお身内の健康問題、ツックンとぼくとは自身の健康問題を直接のターゲットして語り合う。しみじみではあるが、やはり共感世界があると、ぐっと「逞しくくぐり抜ける」希望を持つ。ありがたいことだ。
 自然科学系人間と社会科学・哲学系人間の語り合い。方法論も課題意識も異なるが、ぼくは腹蔵なく語らせてもらった。なぜ、何をセガンに?それは、ぼくの生育と家族関係の持っていたことをぼく自身が整理したいという活字化されることのない課題がある、ということ。などなど。他所ではまったく語ることのない事柄を、三志会で語ることができるのは、本当に嬉しい。しかし。カックン、ツックンの話をあまり聞くことがなかったという問題もある。やっぱりぼくはおしゃべりだな。
 ありがとう、カックン、ツックン。次は来春。もっともっとからだが楽になっているよう、リハビリに努めます。
 席を改めた喫茶店での記念の写真。ぼくはまだむくんでるな。

学習院に着任した頃の元気な若者教師・学生たちがぼくという人間?教師?研究者?に興味を持ってくれていた。最終講義に来て下さるといっていたが残念ながら中止になった。昨日、当該のお一人から、そろそろ会って話をしたい(聞きたい)という申し出があった。ぼくもそろりそろりとだが、「学習院時代」を見つめ直したいとは思い始めていたところなので、お会いしましょうと返事した。11月23日になりそうだ。