教育学科に「反日」レッテル記事!

○ぼくは日本に生まれた。いわずと知れたアジア圏の一文化地域だ。
 だけれども、アジア圏の言語や文化は家庭でも地域でも学校でも知らされず、教えられもしなかった。地域には朝鮮半島出身の人、ユーラシア大陸なかんずくその多くの部分を文化圏としている中国出身の人が生活しているというのに、その人たちとその人たちの言葉で交わることは、いってみれば許されなかった。汚い蔑視言葉を彼らに投げつけることは誰からともなく教えられたのだが。
 長じて研究職に就くための教養や専門に選んだのは、やはりというべきか、アメリカ文化圏、ヨーロッパ文化圏だった。意識のなかにさえアジア文化圏は入り込んでこなかった。要は「アジア文化圏は知るべき文化」いや「知っておいた方がいいカモね」という意識さえ、かけらもなかったのだ。
 アメリカ、フランスなどに研究のために出かけ、ある程度時間を掛けて暮らしてみて分かったのは、アジア圏の文化や人種が逞しく、根付き生活をしているということだった。日本文化を探すよりはるかにたやすく朝鮮文化、中国文化、インド文化等々のアジア圏文化を探し出し、利用することができるのだった。
 すごいパワーだと感嘆した。汚い蔑視言葉を放っていたのは、彼らはぼくらより劣っている、と思い込まされていたから容易にできたことだ。しかし、事実をこの目で見て、彼らと学問の場でも、教育の場でも、文化の場でも、交流することで分かったことは、アメリカの共和政(合衆国制)、ヨーロッパの共和政(EU)、カリブ海共和圏、その他に、世界支配を許すことなく共存共栄の対象として渡り合うためには、アジア文化圏の共和政が必要だということだった。
 そういう観点も内在させて(「共和政」というのはぼくに独自なのかも知れないけれど)、元職場の学習院大学文学部教育学科は創設された。だから、第一外国語が英語であり、第二外国語が中国語または朝鮮語なのだ(必修)。
 にもかかわらず、ちまたには、「だそうだ」「と(誰か)が言っている」という伝聞だからけの実体のない学習院大学文学部教育学科像がでっち上げられている。おまけに「反日的だ」という修飾までつけている者たちが少なくない。
 そういうアホは相手にしなきゃいいと言えばそうなんだけど。創設に理念段階から関わった身としては、非常に悔しい思いをする。
○柏に、期日前投票に出かけた。14日、天気が荒れたらぼくは指定投票所まではとても行けないから。今日は左膝を高く持ち上げることができて気分がいい。しかし、左つま先の上げ方が不十分であること、足首がしっかりしていないことなどで、室内で転び、外出時に何度か転びかけた。関節周りの筋肉の強化はどうすればいいのだろう。
○今日は居室の日当たりがよく暖かかった。マシュマロがこのところ日中は出入りし居座っているのだが、今日の外出中から夜に掛けて、猫集団となって丸まっていた。さあ、誰々がいるのでしょう?