一種のコミュニケーション論

○他人様のことだからどうでもいいといやぁ、どうでもいい、のだけど…・。
 このところ、かなり気になっている。

 乳幼児を連れたご夫婦が、それぞれの手にスマホを持って画面に見入っていることだ。

 乳児の頭のすぐ横でスマホを動作させている。
 幼児が話しかけても無言のままでスマホを動作させている。

 これって、特殊事例ではなく、かなり一般。少子化時代にご夫婦で2人子どもをもうけておられることはじつに尊敬に値するのだが…。

 気になることは2点。

 一つは、電磁波被爆のこと。「あらゆる電磁波がうようよしてんだから、なにいってんだっ!」と反駁召される方がいらっしゃるが、電磁波にはいろいろございましてね、周波数といいますが、それらが混雑・混乱すると、とんでもないということで、それぞれ使用周波領域が定められております。それはさておき、
 携帯が使用する電磁波は人体より30センチほど離れたところで使用しなさい、と警告があります。それは人体への悪影響があるから。
 幼児の頭は成長盛り。内容も器も。それに対して電磁波曝露!小児ガン発症の一つともされている、恐ろしい電磁波です。

 二つは、スマホに見入って隣り合って座っているので、コミュニケーションがない。たとえ会話を交わしているようであっても、言葉は相手に向かっていかない。相手の表情を見ないで発せられる言葉を受け取り、返すだけ。「目は口ほどにモノを言い」の格言を忘れさせるスマホ光景。
 これで、ますます、コミュニケーションとしての言語ではなく、自己主張としての言語だけが栄える現象を生み出していますね、現実に。

 余計な付け加えをすれば、教育現場やいろいろなプレゼン機会でも、学習者(聴衆)をほったらかして、モニターやホワイトボードに、視線と「口」とが釘付けの教師・報告者。「聞き手の表情をくみ取り話を組み立てていく」ような口話方法が廃れ、「記号」化された音声のやり取りのある空間。
○今日の「保護者会」については明日綴ります。