昨日のこと

○浅草巡り篇
昨日は、とにかく、心の底から晴れ渡る一日を過ごすことができた。
 お昼は何ヶ月ぶりかのちかさんと言葉を交わしながらのもんじゃ焼き。お店の紙ふうせんは、ぼくの身体へのお気遣いを下さり、塩分控えめを提供して下さった。
 ちょうど注文のもんじゃ焼き(裏メニュー商品)をいただき終わったところへ、人力車花鳥風月さんのお迎え。ご案内いただくところはすべて花鳥風月さんにお任せをし、名調子の歴史、演劇、建築物などのご案内に、ぼくの絡みはいつものようには行きませんでした。江戸期、しかも、「関八州」ものなどはぼくがとても好きな領域なので、つい口が滑ります。花鳥風月さんは、今、仏教検定に挑戦されているとか。そのお話しの中で、ご先祖様との「因縁」の語りがありました。いいお話が聞けてとてもうれしくなりました。ぼくの「因縁」話は明らかに作為話であるので(川口家は○○に起源がある、とかね)、ばかっ話としてご紹介しましたけど、それはそれで乗っていただけたかな?
 手に持ったカメラは、気がつけば望遠レンズ装着。役にたちゃしねえってんだよ!と江戸っ子弁がつい出てしまい、ヤケノヤンパチ撮影。寺院の甍の表情など。
 そうそう、花屋敷に関するご案内は、その創設がかの黒船来襲と重なるのですよ、ということで、江戸期はけっこうモダンなんですな。で、ぼくの語りの挿入。上田庄三郎が家族を伴って高知を出、新たな教育の夢の華を咲かせようと上京をしますが、鎌倉八幡宮にお詣りして、続いて、花屋敷の訪問だったのですね。あと、神奈川県茅ヶ崎に開校した雲雀丘学園(茅ヶ崎児童の村小学校)の遠足が花屋敷だったのです。それほどの歴史とあこがれの遊園地。
 浅草寺浅草神社。お寺さんと日本の神さまとを同時にありがたがり、同時に「祈願参り」するという妙ちくりんな風習は奈良時代の神仏冥合という政治から誕生したものですが、そういうことの起こりを、目の前の実物を対象として語って下さるのだから、わかりは早い。「実物教育」でありますな。その語りの場で、「今日は冬至ですが、ただの冬至ではない」という、へぇ、をお伺いしました。「冬至」とあらば日照時間が長くなる出発の暦ですが、なんと、お月様も新月から満月に向かっていく出発の日が「今日」すなわち12月22日なのです。ぼくの、この日の夜の食事会は、幾重もの悦びを祝う会でもありましたので、その会の枕話に使わせていただきました。浅草巡りの終着は、今は盛りと思わせる、桜。そう、10月桜でした。けっこう、カメラワークが難しい花ですね。

 浅草はあらゆる「楽しみ」が一堂に会するために作られている街。これからも浅草散策を楽しみたいと、改めて思った次第でした。
○「保護者会」編
 18時半から、東日本橋の南フランス料理レストラン、オステルリー・ラベイにて、瓦林亜希子さんのドクター取得・帰朝おめでとう!ちかさんの卒論完成提出おめでとう!姫様へ拙著編集ありがとうございます!トドちゃんへ日頃のきめの細かいご支援ありがとうございます!心を込めて、ぼくにとってのかけがえのない「保護者」たちへの、ささやかな宴席へのご招待。時はまさしくクリスマスが迫っていることもあり、クリスマス会を兼ねて開きました。「保護者全員」が揃ったのは、これが初めて、という記念すべき会。「保護者」集団から思いも掛けずプレゼントをいただいた。古い言葉でいえばジャンパー。軽くて暖かい。ありがとうございました。
 シェフの心のこもった料理をいただきながら談笑。あれこれと話題あり、ぼくはかなりはしゃぎーたぶん昨夜のようなはしゃぎぶりは今までになかったと思う。
 気がついたら時計の針は22時30分を指していました。再会を約して解散。
 保護者の皆様、ありがとうございました。これからもよろしくお願い致します。
 ○ぼくの膝の上に、万歳ネコがいる。暖かい膝掛けのプリント絵だ。誕生祝いでいただいたものが活躍し始めた。ありがとございます。