1843年医学アカデミー閲覧作業

○1843年度の「医学アカデミー」記録をダウンロードできず、ページ送りの閲覧作業を行う。
○ビセートルでのセガンの上司ヴォアザンが医学アカデミーの1月会議席上で「白痴症について」と題した報告を行っている。セガンの科学アカデミーでの報告は5月。まるで、ヴォアザンに対抗するかのごとくである。
○午後はヴォアザンにこだわってみた。『動物的人間について』と題した書物があるのは知っていたがこれまで未入手。ダウンロードができたので、さわりを眺めた。意外なことに、骨相学phrénologieのGallを「我が師」と呼んでいる。もう一人、Spulzheim。いずれもドイツ系の人間だが、ヴォアザンもそうなのか。ウィキペデア:ohann Gaspar Spurzheim (1776–1832) was a German physician who became one of the chief proponents of phrenology, which was developed c. 1800 by Franz Joseph Gall (1758–1828). 医学部での師弟関係ではなさそうだが、理論的に師弟関係意識をヴォアザンが持ったということだろうか。
○『動物的人間について』目次がない。鳥瞰するためにも目次作成が必要だ。
○余話
「倫理的に劣り模倣的で独自性がない」
 ガルの骨相学をちょっと詳しく知る必要が出てきた.頭骸骨の形と人の気質とが相関しているというのだから、そうか、オレと同じような頭の形をしているヤツはオレと同じような心意気なんだな、なんて一瞬思うわけですね。アジア人はだいたい同じような頭の形だから、それってどうよ、なんて息巻いてみたら、ちゃんと冒頭の「」内のようにまとめられるらしい。オレには当たってるけど、元同僚たちはそんなことございませんことよ。まあ、骨相学が人相見程度で終わってくれていて、よかったよかった