新生ゼミ相談

○新しい自主ゼミの内容と方向性を打ち合わせするために、悠平君とみのりちゃんと会合の半日。とても楽しく過ごしました。
○悠平君の心遣いで根津神社ツツジ祭を楽しもうという日程が組み込まれ、地下鉄駅根津11時半に集合。が、みのりちゃんは起きられず、結果的に2時間余の遅刻参加。さい先が心配。
○ガイドブックに掲載されているお食事処は、ぼくが予想した通り、比較的若い人たちの長蛇の列であることを、後刻順次確認。ぼくたちは駅前のやや小ぶりの蕎麦屋に入った。空いていたこと、とても美味しい蕎麦をいただいたこと、とてもハッピーな昼食時だった。基本的にガイドブックを頼りとしないぼくの「勝ち」。
根津神社は人人人…。ツツジは未だ満開ではなかった。根津神社と言えば、ぼくたち夫婦にとっては悲しい思い出があるところだ。40年前、白血病で闘病中の長男が一時寛解状態となったこともあり、医師より外出許可が出され、根津神社にお詣りを兼ねて散策をした。その日を境にして博史の容態が次第に悪化していった。
 このお詣り以来、根津神社を訪れたことはない。側を通ったことは何度かあるが。写真:博史の魂に呼びかける意識を持って撮した神社光景。

○話し合いの場を東大・三四郎池にしようと、向かった。が、脚の不具合故歩き続けることが難しく、何度か小休止。甘味喫茶を備えているかと思って立ち寄った一炉庵という和菓子屋さんで、この季節もの「柏餅」と写真の「猫のひとりごと」という和菓子を購入、三四郎池ほとりで、悠平君と二人でぱくついた。

○東大構内に行き着く途中で弥生坂を通る。ここもぼくの思い出の土地。大学5年生の時、A出版というF市に本社がある単元テスト会社の編集部長に「見込まれ」て、小学校高学年国語の単元テスト(1枚1単元)作成のアルバイトに従事した(この会社は現在も存立しているため実名を記しません)。ほぼ一年間。1枚作成すると基本給として8000円が貰えたが(当時の6畳間下宿の月家賃とほぼ同額)、ある単元のテスト作成には30000円が支払われ、吃驚したものだ。他の、元教師や高学歴主婦に支給される額より高額であったから、編集部長はよほどぼくの作業能力を買っていたのだろう。ついでに彼が著述した言語論のリライト作業要請も受けたが、こちらは彼の「命を賭けた著述」の思いを真っ正面に受け止められず、彼の提案する時程とは無関係にマイペースで過ごした。それは彼の期待・信頼を大きく裏切ることとなり、「君はぼくの人生の非常に大切な時間を奪ってしまった。ものや命を盗めば社会的罰が与えられ、贖罪は出来るが、時間泥棒はどんなにしても返せない。大切な人生を奪った者と同じ空気を吸っているかと思うと・・・」と、泣きながらの説諭を受け、二度とお会いすることを許されなかった。ぼくの時間への厳しさはこの経験から来ている。写真:A出版があった向かいあたりで芳香を発していたフジを仰ぎ見て。

○懐かしの東大構内へ。まず、農学部門から入ったが、「言問通りドーバー海峡」と守衛が言うごとくキャンパスが分断されていた。本郷通りに戻り正門から入構。真正面にかの時計台(安田講堂)が見える。

安田講堂に突き当たり右に進んで三四郎池。東京教育大に入学して初めて「大学祭」というものを知った。東大・五月祭だ。先日綴ったスギヤンと大田と三人で五月祭見学にきた。当時は、大学祭と言えば、研究発表が繚乱、まことに学生による研究祭という感がして、ぼくら三人のアカデミズム願望の心を十分に満たしてくれた。ただ、「僻地研究倶楽部」の発表にはぼくらは強い疑念を持った。「あれは研究ではない、慰問だ。研究とは異質の世界だ。本当の僻地なんか見てないぞ。」そんな批判意識から、ぼくら3人による僻地研究が出発した。その記念すべき談合の場が三四郎池ほとりだったのだ。言ってみれば、ぼくの教育学研究、しかもフィールドワークを主体とする方法を採り入れた教育学研究出発の地である。三四郎池写真幾葉か。



三四郎池に行き着く「石畳」で何度か左足首の安定に欠くことがあり、一度は倒れそうになった。安定した身体とはまだまだほど遠いことを痛感。ひょっとしたら一生このままなのかなという絶望的な気分にもなった。ただただ、入念に気を配りながら歩くしか、現実と付き合う方法はない。
 池の畔のとあるベンチで悠平君に現実の若者気質のレクチャーを受け(自分自身に利害が及ぶことには非常に神経質だが、自分に利害が直接及ばず他者に影響を与える場合には「ごめんなさい」と発する言葉が、すべての免罪符になる、そのことの不当性を訴えると強い反撃が待っているかプッツンが待っている、等々)、自主ゼミを組織することは大変な苦痛を伴いそうだな、と感じた。いや、自主ゼミとはいわない、今ぼくを直撃している問題ではないか。
○1時間ほどしてみのりちゃんが合流。今ぷっつんしてはならないと思い、感情を抑えた。場を東大構内外の喫茶店に移して議論を進めようと、赤門から本郷どおりへ。名前は懐かしい「画廊喫茶」があった。他に客もいない。
 新生自主ゼミは「お散歩ゼミ」。悠平君の提案。お散歩の「テーマ」は各自が持ちたければどうぞ、ということか。ぼくは、ちょっとしたテーマを共通に持った方がいいのではないかと思っているが、強いてそうすべきだとは発言しなかった。現4年生、それから卒業生にも、案内を出す。それぞれの事情に応じて参加することに意義がある。卒業生でとりわけ教育現場に立っている者をぼくは強く意識した。彼らが教育現場で行っていること、行おうとしていることなどを「軽い気持ちで」語ってもらう。「自己の対象化」がそこで行われることだろう。かつて埼玉大学末期時代に組織した「大地の会」のようなイメージをぼくは持っている。あれよりグンと気楽に気楽に。
○帰宅したら悠平君から、第一回(5月10日)の企画案がメールで送られてきた。以下の如し。
「お散歩ゼミ とりあえず、あるいてみようよ」
場所 靖国神社
テーマ とりあえず、いってみよう
集合 11:30 九段下駅
解散 16:00(遅くとも)
皇居(靖国神社)近くの北の丸公園で昼食(お弁当)、見学の後(1.5時間)、市ケ谷駅飯田橋)の喫茶店に移動のち解散
雨天中止に関しては、前日に決めてしまうほうが混乱が少ないかと思っています。