かなり難しいぞ

○午後3時前、震度4の地震。短くがたんがたんという感じの揺れ。猫がぼくの部屋のお休み処(「巣箱」)から逃げていった。どこへ逃げた?
○朝から終日フランス語に取り組む。が、目の疲れ、左手の疲れが激しく、なかなか集中できない。目の疲れは、久しく感じなかった、視野狭窄となって現れる。左手の疲れはパソ入力を苦痛なものに思わせる。かつてない疲れ感。これらの疲れは「予定」に入っていないぞ。
○文法構造解析難解の文にぶつかる。さあ、繰り返し読むのだ。
セガン1843年論文翻訳ー第3章承前
第一節 対人模倣
 要旨―対人模倣は、的確かつ素早く、随意筋すべての活動を為さしめることである。こうしたことがとてもよくできる子どもがいる一方で、まったくできそうもない子どももいる。だが、彼らがその能力を培われもせず指導もされないならば、前者の子どもたちは野放図状態になり、すべての感覚を縮こまらせてしまうし、大げさな表情、しかめっ面を促せてしまうことになる。後者の子どもは、ある種、完全な無力のままであり続け、彼らに、収縮や表現の能力に気づかせることさえない。このような子どもは(つまり、ほとんどが白痴なのだが)、彼らの身体とは異なる部分についての観念をほとんど持つことはない。これら後者の者は、前者ほどには、動作を伴う模倣の筋力を持つことはないだろう。反対に、前者はできる者はさらにできるようになり、素質のある者はその可能性がさらに発達することを、知ることが出来るだろう。しかし彼らは限られた力の枠組みでしか鍛えられることはなく、身振り、表情、さらには音声や話し言葉にチック症の特徴が現れる。<だから、私は、顔つきや風貌が生まれつきの白痴症を示していることを、絶えず繰り返すこととか、言葉をほとんど使わないとか、言葉がないとかに特徴的に見られると結びつけて、見てきていない。> 一方で、周期的に身振りや表情が理由や目的もなく奇怪に激しくなる。それは、ある者には彼らの動作そのもののようなのだが。とくに、ある種の動物に似た、顔の動き、さらには唇の動き、さらには声に、それが現れる。 ( < >は要再検討))
方法 ― 彼ら自身のこうした異常が可能な限り活用しうる模倣の力を示すことは、明らかなのはいうまでもない。だが、時宜を得た方法を得なければならないのだ。多くの白痴が多少とも、チック症で苦しんでいるが、その症状は完全に押さえ込まれ、無くされなければならない。また、反対に、そうした白痴たちの習慣とはまったく対立する動作、姿勢あるいは声の発出を引き起こさせることは有用である。
しかし、人間にとって、支点のない合理的な動作はない。この支点は不動においてこそ得られるのだ。あらゆる運動の最初は、興奮状態の子どもに、どんな神経運動をもなさしめないことにある、それはとても難しいことなのだが、いろいろなやり方がなされる。