1843年論文だけではダメだなぁ

○風邪症状が少し緩やかになってきているのでぼちぼち翻訳に取りかかり始めた。
○「模倣」の章。誰が何を模倣するのか。それは何のためなのか。この程度の問いならば本文を読まなくても思い浮かべることが出来よう。だからこそ、白痴教育に模倣は大切だ、というスローガンにとどまることのないために、緻密な訳出が求められる。
○が、ある語句で行き詰まる。電子辞書にも、中辞典、大辞典にも載っていない語句。l'imitation relatitive。「関係性のある模倣」というような意味なのだろうか、とは推測するが、やはり確実にしたい。AKさんから返却のあった1843年著書で該当ページを探ると…l'imitation relativeと修正されている。「相互模倣」と訳を定めた。
○1843年論文と1843年著書との関係は、前者を後者へと独立させたという関係性なのだから、ぼくはセガン研究においては初出の重要性という意識でこれまで捉えてきた。もちろん、前者の明確な誤りを正したものが後者となっていることは承知のうえだ。だが、それが微妙なニュアンスの書き換えとなると、ちょっと待て、となるのが、ぼくのこれまで身につけてきたクリティークという研究方法論だ。その立場から論文の翻訳に精力を注いでいるのだけれども、著書を基本文献としないと、誤った解釈を産み出しかねないという、危機感を瞬時抱いてしまった。
○当面は1843年論文をテキストとして翻訳を進めていくが、いずれかの過程で、1843年著書とのつけ合わせをし、場合によっては、著書の方にウエイトを置いた訳文となるかもしれない。
○直径1センチに満たない可憐な花。