「特殊教育」ということ

○fbに以下投書
「我が国では、今、「特殊教育」という言葉は使えないことにされているけれど、言論・表現の自由を行使して、ぼくは使い続ける。差別目的で使いなさんな、という「社会のお達し」には強く同意しますが。
 我が教育界で「特殊教育」という言葉が使われたはじめは、「普通・一般」と区別した教育が必要ということから、「天才教育」も「特殊教育」に分類された。今日など、「天才」をいかに多く育てるかに腐心しているのが教育界の現状だから、明治期風にいえば、現在はまさしくオール「特殊教育」だ。これはあくまでも現状を皮肉って言っているだけだから、念のため。明治期は「特殊教育」とは、「普通・一般」を挟んで両極のことを言った、しかし、今日では、片極のことをのみ指し、人間差別に通じるので「特別なニーズを持つ人の支援教育」と言い換えているわけだが、個性をとても大事にするという我が日本なら、すべての人が特別なニーズを持っているんでねえの?と、「ものすごくひねくれたものの見方」(某教育学者に名指しでそう言われた)を、ぼくなどは提出してしまう。
 ところで、思い込みが、時にはガツンとされることがある。要は、たんに無知であったことを思い知らされた、ということなんだけど。
 教育の歴史を勉強していると、日常使っている言葉、たとえば上に書いたような「特殊教育」という言葉が突如出てくる時代・社会と出会うことがある。具体例で言えば、フランス19世紀前半期。ほおーぉ、フランスはやはり進歩的だなあ、なんて感心して読んでいると、どうも文脈とぼくの持つ「特殊教育」イメージとは合わない。結論を言うと、学校教育の場に「職業教育」を組み込む必要がある、という論陣で、その教育を「特殊教育」と呼んでいる。近代的な工場生産がすすめられ始めた頃のことだから、それとの絡みで論じているのだろうと、理解できる。
 このことは、「学校」というもののあり方、そのものの質的な転換をも意味しており、教育史的には大転換期に入ったといえる。「特殊教育」―されど「特殊」にあらず、時代・社会をおおいに創りあげる言葉なのだ。」
○今日は恒例のトドちゃんに支援をいただいて交通機関を利用する外出リハビリ日。昨日まで鼻風邪の症状が強く出ており、今日もそうだったら、楽しみ中の楽しみの外出を諦めなくちゃいけないかと、おどおどと朝を迎え、食事等定例の日課を過ごした。
 うれしいね、鼻の調子も普通状態だし、熱も無し、体調(ふらつき、脚の痛み、むくみ等)無し、血圧正常、おまけに雨もまだ降らない!これで支援外出リハビリがダメだって宣告されたら、ぼくちゃん、すねちゃう、ぐれちゃう、暴れちゃう。一気に精神が幼児化すること間違いなし。
 船橋東武で鹿児島物産展が行われている。それに行くことにきめていた。自宅から東武新柏駅まで健常時で10分の距離を、杖つきやっこらどったんばたん30分。この30分はほとんど住宅街を通るので車と出会うことが少なくて助かる。が、近在に形成中の新しい宅地街が完成すると、どうなることか。そんな心配などをしながら、同時に脚が思うに動かない恨めしさと戦いながら、ひたすら駅を目指していく。

 新柏駅から東武船橋駅まで30分。この路線は必ず座席が確保出来るので助かっているが、沿線では大住宅街が作られつつある。すでに誘致広告も出ている。まもなく、新しい住民たちも利用することになろう。そうなるとまた事情は変わってくるのだなあ。これらのこもごもは、ぼくのような者の外出控えを生み出す遠因にもなるだろうなぁ。
○今日も物産ものを数々購入したが、初めての好奇心で購入し、トドちゃんとデパート屋上でいただいたものは、写真の「かからん団子」。この珍妙な名は「かから(ん)」(サルトリイバラ)の葉で団子をくるんでいるところから名付けられているとか。食感は「ちまき」のようだった。粒あんを餅米に練り込んで作った団子。粒あんではなくよもぎのもあった。よもぎが本来のもののようだ。昔からの民衆和菓子。思いもよらず、うれしいものを口にした。
 他には、屋久杉工芸品に顔を出した。いつも物産展出展の案内はがきを下さるので、そのご挨拶を兼ねて、作品の冷やかし。手作りの味わい、杉の香り、木目の美しさ。いつ見ても心安らぐ空間だ。今回は小物入れを購入。キャンデーなどを入れておこう。

クロマグロ丼も美味しゅうございました。
 東武デパート6階の鹿児島物産展会場に到達するや、ぼくは、トドちゃんに、「先にお昼を済ませましょう!」と声を掛け、人をかき分けるようにして?違うな、人群れを縫うようにして、食堂に向かった。メニューには本当に美味しそうなまぐろ丼が表示されている。これはきっと人気商品となり、長い列になるに違いないと思ったからだ。
 まだ早かったのか、幸い席は空いており、注文の丼が食卓に届いた。予想通り、まぐろの味は絶品に近い。が、あれ?やはり「病み上がり」なのだろうか、身体は。舌に乗せたおいしさの割に食が進まないのだ。いつもはトドちゃんより早く食事を終えるのに、今日はトドちゃんより仕舞いが遅かった。
 食事を終えて、物産店をぐるりと周り、いくつかの店で買い物をし、買い物の締めとして、子かぴちゃんへのお土産にまぐろ丼を買いに出店に寄ったのだが、なんと、その店の臨時調理場で食堂で提供する丼物を作っているのだった。こういう光景は初めてだな。
 さあ、今日の物産店巡りはおしまい。トドちゃんが「食堂に行く時のツルピンの足の速さ、すごかったね」。イヤ、ほんと、自分でもあんな早く歩ける瞬間があるんだなあ、食い意地が張るって、こういうことなのかな、等と思った次第。
 少しずつ少しずつ、「健常」への坂道を上り始めているんだぞ、と自分に言い聞かせた。