中野氏は本当にご自身で翻訳されたのか

セガンの日本語文献は中野善達氏の力に多く頼っている。フランス時代の文献では、中野氏の他には松矢勝宏氏、そしてほんの少々、最近年(2010年他)のぼく。フランス語を解しない人がセガンを読み解くには必ず中野氏をくぐらなければならない。中野善達訳『エドアール・セガン 知能障害児の教育』(福村出版、1980年)は必携の書である。
○S先生の言うのには、とにかく仕事の早い方だったそうだ。国内外の文献の「翻訳」を非常に数多く手がけられている。英、仏、日本語漢籍。ぼくが知るのはこれだけだが、それにしても、語学、言葉の専門家であることは、明白。その中野氏のセガンに関する、セガンの著書に対する解題、解説を幾編か読んで、お目にかかって本当に多くの疑問をぶつけたいと思い続けたお方だ。中野氏の言説が、少なくなく、フランス時代のセガン像を創り上げてしまっているのではないか、と思ったからだ。度胸のないぼくは、ついぞ、その疑念を晴らさないで来た。
セガン1843年論文を訳出していて、毎日のごとく、中野訳文のひどさというかずさんさに出会う。そして今日も思う。中野氏は、指導する学生(院生)に下訳をさせ、ご本人はそれをさらっと読み、若干の赤を入れ、「中野善達」の署名をしたのではないか、と。今日のところを指摘しよう―
*「白痴児の触覚を発達させるには、しばしば触覚だけを使って識別させるようにして、何か触ることができる物を与えるだけで十分である。もちろん、効果を挙げるには、彼にものを見させないようにしなければならない。」 原文のpriver effectivement を「効果を挙げる」としたようだ。
*「・・・最後にはほとんど知覚できないほどの対照をなすものを土塊のように配慮すればよい。」 これなど、二つのものの対照比較訓練の意味をまったく理解していない最悪の訳文。「土塊云々」は原文にもない。
*ぼくの訳文はもちろん後述にある。
セガン1843年論文翻訳 第4章 承前
 白痴の子どもの触覚を発達させるためには、多くの場合、彼によく触って確かめるような物体を与えるだけでいい。ただし、さっと触ることでそれとは別なものに見分けてしまうようなことはないようにする。別の機会には、実際に、彼には物体を見せないようにして、それを言い当てさせることも必要である。
 これらの学習には、次のものが使われる 。1.暖かい液体とよく冷えた液体、2.湿気取りの液体(収斂液)、鎮痛液、べとべとした液体、など、3.固くて頑丈な物体、ないしは柔らかい物体、4.ざらざらした物体、羊毛のような物体、綿毛のような物体、絹のような物体、つるつるした物体、5.重い物体、軽い物体、6.同じ形だが、かさが異なる物体、7.大きさがそれぞれ異なる物体、8.多様な形状の物体。
 これらの物体を提示する対照は、子どもに評定させるにあたって、対照を極端にすることから始められ、ほとんど違いを識別できない平均的なところまで移して、提示されなければならない。たとえば、0℃の水と70℃の水、続いて、10℃の水と60℃の水、20℃の水と50℃の水、70℃の水と40℃の水、などというように。
○「セガン教具」と言われるものの登場。パリ医学史博物館やクラムシーのセガン生誕200周年記念会場で写真記録した。なつかしい。
*6.同じ形でかさが異なる(パリ医学史博物館非展示より。竹田康子氏提供)

*4.ざらざらした物体、羊毛のような物体、綿毛のような物体、絹のような物体、つるつるした物体(セガン生誕200周年記念会場展示より)

○思い立って、「セガンは過去の人」、か?―私と「セガン」 を綴った。『1843年のセガン』別号として発行する。4頁立て。
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