終日翻訳作業

○暑さがこれでピークなのか、さらにまだ暑くなるのか。昨日帰宅したら自室は34度になっていた。今(10時)は32度。昼(33度)。たっぷり水分を補給しないといけません。
○この暑さに猫たちはどういう工夫をして耐えているのだろう。
 ぼくは37度のお風呂に20分浸かって筋肉を労りました。窓から入る風が爽やかに感じられるので、まだ耐えられそうですが…。西日がブラインドの間から漏れてくるのがうざったいなあ。
1.ダイニングキッチングループ 2匹。 全身伸びきって寝ています。
2.廊下・階段グループ 2匹 同上
3.2階居間グループ 3匹 それぞれ異なる窓辺で風受けて寝ています。
4.2階居間押し入れグループ 2匹 そこはぜったい暑い、いや、熱い!出てらっしゃい! 強く命令するも、眠り込んで起きません。
 以上9匹。圧倒的多数は、日陰の風通しのいい、外気温よりは少し低いところで体熱を発散させる工夫をして、眠り込んでおりました。さすが、人間より、自然に近い動物です。
○le jeune B... をなぜ「年少児B」と訳するのか、その感覚が分からない。Bは14歳と書かれている。14歳を年少児とはいわないだろう。
セガンは癲癇と色覚異常とを結びつけているのだろうか。1843年論文執筆期には「色覚異常」について「報告」はされている。しかし、そのメカニズムにいたっての研究はまだだったと思われるので、「色覚異常」についての知見は少なかったと思う。「実証的教育は色の些細な違いに気づかせることができるだけだ」というが、おそらく、それは間違いだ。注記する必要があるが、ぼくには、「色覚異常」についての知見はいささかもない。
○芸術評論についての論稿があることを注記。
○1843年論文翻訳 第4章第5節 承前
「こうした色彩の識別力に欠けるのは推測される以上に多くの子どもに存在する。例えば、少年B..... 14歳は癲癇として私に預けられた 。彼は読み、書きおよび多少の計算ができた。だが、彼に色を見分けさせる時にはまったく苦労させられた。彼は明るい緑色を天国のバラ色という。他も同様だった。実証的教育の実践では、ほとんど分からない程度の異常同類を見いださせることができるだけである。だが、美術学校やそれぞれの先生には非常に興味深いことではある 。アトリエで20人の生徒のために同じポーズを取るモデルは、どの生徒によっても、けっして同じ色調のモデルに見られることはない。また、すべての芸術家の前に一様に現れている自然は、それぞれの芸術家によって多様な色彩でもって表現される。また、芸術は様々な結果を生みだすと主張しうるのならば、非常に有名な画家の失敗はデッサンの不正確さにあるというよりも、彼らの凝視の傾向あるいは習性において、すべての色彩を彼ら自身が見ていると思い込み、それで終わってしまっている―そうに違いないと私は思うのだが―、一般的な色調だといわれている単一色に移し替えてしまうところにあるのだと、率直に見分けるべきなのだ 。
私が色調を言わないでもっとも基本的な色だけを言うとしたら、子どもは何歳で色調を見分けるのだろうか。子どもは何歳で非常に簡単な遠近法の法則を報告するのだろうか。また、自身を取り囲んでいることを、使用することによってでなく、形状、配置、様子、構成によって、何歳で見分け始めるのだろうか。分別の付く頃になって、必要が感じさせる時だと、あなたは応えるのか?では、自答する。諸器官がもはや実現すべき生理学的発達を許さなくなった身体の発達段階にある年齢に、というのではない。つまり、思い違いされているが、15歳あるいは18歳に開始される一般的な体操がさらによい結果を生みだしうるのは、骨格組織と筋肉組織が完成する20歳から25歳まででしかないということなのだ。しかし、我々の器官のすべて、感覚のそれ、とりわけ視覚に関しては、最初に完成される。目は、10歳になると、ほぼ完全なところまで行き着く。だが、この歳では、目は子どもにとって、彼を取り巻く事物そのものに特有な色や形によるよりも、有用性によって事物を識別することにしか役に立たつものではない。」
マー君が夕涼みにやってきた。ちょっと不満げ。