曇りで肌寒いがお散歩日和、セガン最終コーナー

○6時10分起床。今日はゴミ出しが無いので、自室内の整備だけ。朝食後、8時まで、「終活のための研究的総括」執筆。その後9時前まで、翻訳作業ぼちぼち。9時30分から11時30分、お散歩。今日は久しぶりに南柏方面に向かう。カスミでいろいろお買い物。買ったおやつには日高のだし昆布が入っている。今、一切れ口にしているが、海の塩のきついこときついこと。ちょっと、考えものなのかな。帰路、にえもんさんのおかみさんに声を掛けられ、しばし立ち話。ひさしく、にえもん・ウナギを食していないなあ。南柏方面の道は側溝の蓋に何度も杖先を取られた。あと交通量が多い。やっぱり怖い道だ。
セガン1843年論文翻訳 第23章 完 第24章 結語
第23章 遊びについて
 私は白痴の教育の中に、まるで私が彼らの兄か同類の者であるかのように混じって遊ぶことを多く入れてきた。それは、私に彼らを指導する余地を得ようとしたためである。
 すでに言ったことだが、遊びは幼児期の最も自然な活動である。それは、幼児期にとっては身体的生理的機能の自由で意志的な発現であり、聖なることがらである。遊ぶ白痴は他の呼び方がとてもふさわしい。非常に必要な目的に到達するために、遊びは困難の度合いによって、決められ、変化がつけられ、少しずつ程度を挙げられる必要がある。遊び選びは子どもたちに委ねる。子どもたちは、たいてい、大人が考えもつかなかったことを見つけ出す。それに変化をつけることや程度を上げていくことは先生がすることである。先生は白痴が遊びで型にはまってしまわないように気を配る必要がある。また、遊びでも学習でも、それらが異なる形式であるにせよ、つねにそれらの中で学習する何らかのことがらがあるのだということも教師が気を配ることである。
 すでに私は、色彩、形状、大きさ、地図、絵画等の学習が魅力あり、どのようにして知識を与える遊びに転嫁されるかについて、指摘しておいた。読み方も同じ資料を使用して指導する。しかし、私は、子どもに対して、静止を強いる遊びについては、使用が乱用されることを考えて、思い切って資料をほとんど示さないこととする。
「活動的な娯楽が廃れてしまっているのは非常に残念なことだ。ほかのやり方よりも遊びでする方が訓練ができる....。活動的な娯楽が無くなるにつれて座ったままの気分転換が広がってきている。とはいえ、後者の座ったままであることは、精神の疲れを癒すどころか、時には、学習そのもの以上の集中力を要求する....。より多くの訓練を要する娯楽が好まれるべきだ、など。座ったままの活動はただ病気になりやすくするだけで(このことは白痴に対しては絶対に間違いのない真実だ)、社会に役に立たない人間を引き渡すことになる。非活動状態はあらゆる悪癖を進展させるのに寄与するだけである。」
私はバカン の家庭医学 から引用された同様の指摘をまだ多く、引き合いに出すことができる。この著作で、この手練れの観察者は、巧みに、長椅子に座ったまま訓練をする人たちを、公然と批判している。だが私は、白痴たちを活動的な遊びに委ねる必要性を明らかにするために、十分に述べてきたと思う。
第24章 結論
 まとめ。白痴は、一般的に、自身のすべての習慣に、彼の障害の特性を示す。ひどくなったり和らいだり、変わらなかったりするが、状態は、たいていが、癲癇の困った兆候によって非常に複雑になる。障害は、障害に伴って、日夜の不潔さ引きずり、一次的欲求を満たす能力に欠け、必須の運動における平衡、静止、規則性が無くなる。これらの運動は顔、胴および四肢の機械的、自動的そして神経的な運動にとって代えられる。体の一方だけ、あるいは両側同時に、増大するあるいは弱まる筋肉の力は、全般的な感覚における神経過敏あるいは無気力状態であり、その上、それらのどれもが、暑さ、寒さ、光、電気、空気の感知されうるあらゆる変化の影響のもとで悪くなると思われる、無秩序状態である。生殖器官は不規則な興奮、精液漏、失禁などの源である。麻痺した感覚は必要に迫られてしかその機能を果たさない。触覚は鈍く、味覚は損なわれ、嗅覚は無く、聴覚は愚鈍で、視覚は不随意で、焦点が定まらず、偶発的に焦点があうだけである。頭蓋形状は、発話器官や発声器官の形状と同様に、ほとんど異常である 。咀嚼と消化が不完全、よだれがつねに流れ、自分や他者を噛む癖があり、歌や叫び、ぶんぶんという音で眠りが中断され、頭が前後に揺れる。話しことばは、時には自然だが、ほとんどが不鮮明である。
セガン翻訳もとうとう終章へ。「結論」。この部分こそ、セガンが自身の白痴教育が理論とともに実践として確信持てるものだとの自負に満ち溢れたところ。中野善達の決定的誤訳の登場となる。
○終活のための研究的総括その9 (19世紀初頭を旅する その2 編)
 セガンを素材にして19世紀初頭のフランスの旅をする。要は、あたりまえの研究方法、セガンの存在証明(レゾンデートル)を確認し、それを入手し、分析・総合して、論理的ストーリーを創造する、ということだ。今だからこそ言うが、こういう手続きを踏んだセガン研究の先人は、ただのお一人しか存在しない。ほとんど、その業績が引用して語られることはないのが不思議でたまらないのだが。
 こういう研究を進めていく場合、大学や図書館など、公的機関に対しては、ぼくが所属する職場からの「公的」な研究協力依頼書が必要だ。しかし、ぼくの場合、調査先に確実な「存在証明」があるという保証などなく、「歩くしかない」というセールス・パーソンの「飛び込み型」を選択せざるを得なかった。かすかな情報を得たらとにかくそこに足を運ぶ。有能な通訳者が必要だが、日本語からフランス語への言語転換が有能というだけではなく、ぼくの研究の進捗状況を理解しているという意味での有能な通訳者、その場で当意即妙に相手から情報を引き出すことができる「場を読む」に有能な通訳者の存在だ。
 こうして、通訳者を伴って、あちらこちらに、足を運ぶ。ただし、その通訳者は歴史に疎いので、肩を並べて歩きながら、ぼくが「脚を向けようとしているところの歴史」講義をする。けっこう厳しい対立を生むこともあり、調査不能の時や日もあった。
 2008年のある日、かの有名なパリ4区ボージュ広場を通り抜けたところにある、公共機関存在証明であるフランス国旗が掲げられた建物の前に、ぼくたちは立った。そこには、セガンのフランス時代の白痴教育の「あらゆる存在証明」が眠っているはずである。世界中のセガン研究者がほとんど足を踏み入れていないのではないかと思われる機関である。もちろん、日本人セガン研究者は、先に紹介したセガン研究者も含めて、誰一人として訪問した状況証拠は見られない。
○お散歩の折り返し点カスミのパン屋さんでクロワッサン生地のアンパンとコーヒーとを買って一休み。パンがまるでパリでいつも買うパン・オー・ショコラと似ているので、つい、思い出してしまった。「アロー、マダム、ボンジュール🎵 アン、カフェ、エ、アン、パンオーショコラ、シルブプレ!」「ウィ、ムッシュ!」