トドちゃん、アメリカに発つ

○6時半起床。5時に一度目覚めたが今一度寝る。
○今日から木曜日まで、トドちゃんがアメリカに所用。頑張れー。
○三重の田中茂美さんとお茶の水銀座アスターでランチ。3時間ほど、楽しく談笑した。再会を約してお別れした。手土産に野辺の里をいただいた。
○ 御茶ノ水駅聖橋口改札外で午後1時に田中さんと落ち合い、目の前の井上眼科ビルに向かった。小さな階段など神経を使うところも、田中さんが支援をいたしますよ、とありがたいお申し出。FBでのご発言の心優しさそのもののお人柄と接し、一気に私の「人見知り」が消えていった。
 幸い席は空いており、21階からの東京の景色を眺めながら、ランチ談笑は進んでいった。会議でお疲れだったでしょうに、私の構音障害の後遺のあるしゃべくりにきちんと耳を傾けてくださったのがうれしかった。
 三重県津高校の後輩だから少しは同窓の話でも、と心構えていたが、FB上で確かあまりいい思い出はない、とおっしゃっていたことが心の隅にあったので、私も語るほどのことは無いので、話題は、拙著を名刺代わりに差し上げたこともありFBでも語り続けてきたことでもあるので、「セガン研究になぜこだわったのか」をお話しした。
 尊敬する先輩研究者たちの、なぜかセガン研究だけは、らしさが無くなり、イデオロギー優先で事実検証をしていないというところを中心にあれこれお話しした。私たちが社会活動をしていく上で広く信頼をしていただくためには絶対必要な認識と行動が、研究世界ではけっこう抜けているという、強い危機感を持ち続けてきたことの、「セガン」に即した心情吐露でもあった。
 田中さんの鋭い文学的感性の源のお話など伺いたいと思っていたのだけれど、ぼくのしゃべくりだけで時間が経ってしまった。またぜひお会いしましょうと固く握手を交わしていただいたので、この次は「関西鰻」をつつきながら、田中さんのお話を中心に楽しい時を過ごさせていただこうと、思っている。
 田中さん、ありがとうございました。 
○北海道の生活教育の仲間の村越さんから「1843年のセガン」第10号の返礼メール。以下のごとし。
セガン研究を終えるということをfbで拝見しておりましたが、12年という長さに、驚きました。
私は勉強不足で、ご著書を拝読したぐらいではなかなか理解はできないのですが、セガンの生活感が当時の時代の雰囲気と重なりながら、セガン自身の教育研究・実践の様子が書かれており、
その研究の視点に感動しておりました。
添付していただいた文書の中にあった、知的障害を持つ人の「社会化」という言葉にも、目からうろこが落ちた思いです。今では当然とされていることですが、当時は隔離の対象であった…。今の教育現場も、隔離的になってはいないだろうかという、検証も必要に感じました。」
○村越さんへの返信。
「ご丁寧にご感想をいただきありがとうございます。
 振り返ってみれば12年のセガン研究。怠け者の私がよくもやったと自身でも思います。
 ただただ、尊敬する先輩研究者たちがあまりにもでたらめな歴史観でぼくたちをリードしてきたんだという気づきがあったからこそです。理由はそれだけ。だからこそ、徹底した実証史が必要であり、時間が掛かったということになります。」