通所リハビリ
○6時半起床。昨夜は2時間おきに目覚めた。悔しいことの夢。覚めても悔しい。
○湯たんぽ、いりませんでした。布団は暖かい。
○燃えるゴミ出し。2袋。手袋をはめていったがあまり意味がないみたい。
○午後は住所録作成を続行するつもりでいたが、気力がわかず。DVDプレーヤを引っ張り出してあったので、CD音楽を少し楽しんだほかは、ぼけーーーーと過ごした。
さらに苦痛を与えたまえ
○6時50分起床
○終日自室掃除
○自分の体を支えきれないほどの苦痛に何度も襲われ、そのたびに椅子に座る。だが、もっと苦痛を与えたまえ。
○Hさんから献本の礼にと、焼き菓子が送られてきた。送り返すわけにもいかずいただいておくが、困ったものだ。
○明日は名簿作り。
しゃんとしろ!自分。
○7時起床。今日は弘美君の出勤を見送ることができた。
○人生の残された時間を測ることはできないが、そう多くはない年齢のところまでは来ている。その残りをどう生き抜くか。呆けっとしても、ただ座り込んでいても、あれこれ目的をもって歩んでいっても、同じだけの時が過ぎる。もう一度、やり残しているものの整理は必要ないか。
○「セガン1843年論文」、『知的障害教育論初稿』の書名で行きそうだ。pdfで組版見本が送られてきた。希望通り。ただ、段落間隔について、協議が必要かもしれない。
○セガンの雇用決定記録原簿その他グラビアへ。あまり多すぎるのも考え物だしなあ。
○「子どもの病気の治療」1837年、ダウンロード。まえがきの部分しかもっていなかったので全文をとりあえず確かめたい。
精神の彷徨
○7時起床。
○「1843年のセガン」第10号を「1843年のセガン」最終号と書き換え、医学博士べロムがセガンより早く「白痴は教育によって発達する」と論及しているが、彼は「白痴が普通の子どもと同じようになる、ということはあり得ない」とも言い、セガンの「社会化」という教育的課題を批判している、ことなどを書き加えた。セガンの白痴教育実践ならびに理論はやはり時代を超越していた、旨を伝えたいからだ。とりあえず清水寛先生にお送りする。印刷用紙を購入して後その他の方々にお送りする予定。
○神奈川の桐山先生から封書をいただいた。今回の訳出作業のねぎらいと出版の意義について端的なお言葉をいただいた。基本文献として読み継がれ、セガン研究が再出発するであろう、と。ありがとうございます。
○幻戯書房に、写真2葉送付。ビセートル・子ども部局と総評議会によるセガンの馘首決定書。
○トドちゃんよりメール。アメリカでのご自身の役割を無事終えられた、とのこと。お疲れ様でした。
○いつも寄り添っていたマシュマロの影を求めるがごとくアフォがわが部屋をうろつき、時に呼びかけるがごとき鳴き声を上げる。マシュマロとそっくりの色柄のヒメがマシュマロの傍にじっと座っている時がある。グレーがマー君をのぞき込んでいた。ほかの子たちも「避難所」から出てきてじっとしている。「お見送り」なのだろうな。悲しみの時。マー君はもうすぐ天に行く。
○今夜8時、マー君「出棺」。
○ぼくの精神がまださまよい続けている。