マー君、昇天。

マー君を不注意で死なせてしまった。ごめんなさい。ごめんなさい。18年の生涯。楽しい日々をありがとう。これが遺影となった。11月26日写す。
 子、孫たちが静まり返っている。二階の寝所で固まっている。まるで喪に服しているようだ。君たちにも、動物的感性で、悲しみが分かるんだね。チビクロの時もそうだったな。

トドちゃん、アメリカに発つ

○6時半起床。5時に一度目覚めたが今一度寝る。
○今日から木曜日まで、トドちゃんがアメリカに所用。頑張れー。
○三重の田中茂美さんとお茶の水銀座アスターでランチ。3時間ほど、楽しく談笑した。再会を約してお別れした。手土産に野辺の里をいただいた。
○ 御茶ノ水駅聖橋口改札外で午後1時に田中さんと落ち合い、目の前の井上眼科ビルに向かった。小さな階段など神経を使うところも、田中さんが支援をいたしますよ、とありがたいお申し出。FBでのご発言の心優しさそのもののお人柄と接し、一気に私の「人見知り」が消えていった。
 幸い席は空いており、21階からの東京の景色を眺めながら、ランチ談笑は進んでいった。会議でお疲れだったでしょうに、私の構音障害の後遺のあるしゃべくりにきちんと耳を傾けてくださったのがうれしかった。
 三重県津高校の後輩だから少しは同窓の話でも、と心構えていたが、FB上で確かあまりいい思い出はない、とおっしゃっていたことが心の隅にあったので、私も語るほどのことは無いので、話題は、拙著を名刺代わりに差し上げたこともありFBでも語り続けてきたことでもあるので、「セガン研究になぜこだわったのか」をお話しした。
 尊敬する先輩研究者たちの、なぜかセガン研究だけは、らしさが無くなり、イデオロギー優先で事実検証をしていないというところを中心にあれこれお話しした。私たちが社会活動をしていく上で広く信頼をしていただくためには絶対必要な認識と行動が、研究世界ではけっこう抜けているという、強い危機感を持ち続けてきたことの、「セガン」に即した心情吐露でもあった。
 田中さんの鋭い文学的感性の源のお話など伺いたいと思っていたのだけれど、ぼくのしゃべくりだけで時間が経ってしまった。またぜひお会いしましょうと固く握手を交わしていただいたので、この次は「関西鰻」をつつきながら、田中さんのお話を中心に楽しい時を過ごさせていただこうと、思っている。
 田中さん、ありがとうございました。 
○北海道の生活教育の仲間の村越さんから「1843年のセガン」第10号の返礼メール。以下のごとし。
セガン研究を終えるということをfbで拝見しておりましたが、12年という長さに、驚きました。
私は勉強不足で、ご著書を拝読したぐらいではなかなか理解はできないのですが、セガンの生活感が当時の時代の雰囲気と重なりながら、セガン自身の教育研究・実践の様子が書かれており、
その研究の視点に感動しておりました。
添付していただいた文書の中にあった、知的障害を持つ人の「社会化」という言葉にも、目からうろこが落ちた思いです。今では当然とされていることですが、当時は隔離の対象であった…。今の教育現場も、隔離的になってはいないだろうかという、検証も必要に感じました。」
○村越さんへの返信。
「ご丁寧にご感想をいただきありがとうございます。
 振り返ってみれば12年のセガン研究。怠け者の私がよくもやったと自身でも思います。
 ただただ、尊敬する先輩研究者たちがあまりにもでたらめな歴史観でぼくたちをリードしてきたんだという気づきがあったからこそです。理由はそれだけ。だからこそ、徹底した実証史が必要であり、時間が掛かったということになります。」

通所リハビリ

○6時半起床。昨夜から湯たんぽ使用。足もとは暖かいが、筋肉をほぐす役割は果たしてくれないようだ。今日は左脚が痛い。
○Tさんから手編みの帽子をいただいた。禿げ頭にはとても暖かい。ありがとうございます。
○粋生倶楽部増尾通所リハビリ。あっという間に午前が過ぎる。体に心地よい。ストレッチボードはどうしても逃げ腰になってしまう。左足ふくらはぎがとてもつって痛い。
○三重から田中さんご上京とのショートメール。

久しぶりに外出

○8時20分起床。じつは二度寝
○寒さのせいで脚の筋肉が固まってしまっており、立ち居振る舞いに不自由を覚える。昨日から何度も、ぐらりと身体が傾く。こらえきれずにそのまま倒れる、という有様。気をつけましょう。
○日曜日、三重津で原水協の活動をなさっている田中茂美さんとお茶の水でお会いすることになった。FBでたびたび会話をしていただき、久居の話しにも及ぶことがあった。久居はふるさとだけど帰るところではなくなった、といつぞやお話ししたら、久居の護国神社のお守りを上京の際に持っていく、とのことだったが、明後日お会いするのはそのため。心優しい人。そしてすさまじい教養人。詩人でもあったとか。幻戯書房の本を差し上げようと思う。
○エッセイ
快晴!暖かい!
左半身が寒さのため筋肉がより多く固まってしまい、昨日からちょっとバランスを崩してはヘナヘナと畳の上に体を崩してしまうのが何度もあり、これからの季節の送り方に大きな不安感が襲ってきていたが、今日はそんなことを忘れてしまうルンルン気分。
さあ、外へ出よう!
散歩兼所用済ましの帰り道、いつもは指をくわえて通り過ぎる英さんのドアを開けた。2年ぶりに中に入る。
「つけ麺は季節を外してないよね?」
「ええ、すみません。」
はじめてお声を聴く英さんのお嫁さんだ。
「じゃあ、味噌のラーメン、2倍で。」
「2倍だとかなり辛くなってしまいますが。」
「ええ、承知しています。病気にかかる前はよくいただきに来ましたよ、その時は辛さ3倍です。」
「そうでしたか。」
「とてもおいしい四川ラーメンなので大ファンなのですが、病気に勝てなくてね。この間(かん)の血液検査で異常なしが続いているものだから、ちょっとチャレンジしてみます。」
かつてとてもおいしいと思って食べていたものを、今また、おいしい!と思って食べることのできる幸せ。
この暖かさが続いてほしいと思いつつ、そうはお天道様は許してくれませんね。自然の摂理にこちらが合わせるようにしなきゃ。ささやかでも、運動で体の機能を柔軟にしましょう。

自宅籠り 寒い

○7時起床。夜中1回目覚め。そうとう冷え込んでいるようで、血圧が高め。気を付けよう。
○いよいよ、訳文の校正が始まった。
○あれこれと読み散らかし。そのうちに統一的学習ができるようになるだろう。
マー君、包まる。

○ナポレオンといえばほとんどの人がコルシカ島大脱走、英雄、という言葉が思いつく。ぼくも若い頃はそうだった。でも、今のぼくはそうではない。現在のパリを作らせた人、ヴィクトル・ユゴーから「小(プチ)ナポレオン」と揶揄された人。どっこい、彼はなかなかの人。「近代(工業化社会)」という社会を本格的に創り上げた人。パリから不潔を追い出したのも彼の施策だ。もっとも、いい迷惑はパリの周辺なのだけれど。今回のテロもそういったバックグラウンドがある。歴史の怨念は連綿と続く…。
 このナポレオンが共和国統領の身でクーデターを起こし、皇帝の座に就くことになったのが1851年12月。これに反発し大レジスタンスが起こされたのが、主としてフランス中央部、農村地帯だ。近代化が目指すところが農業など第一次産業を壊滅させてしまうと予感した農民たちが立ち上がった。
 この一大レジスタンスを勉強したいと思い続けてきた。やっと必読文献が手に入った。レジスタンスはナポレオン軍によって壊滅させられるのだけれど、蜂起の首謀者を中心とした裁判資料なども収められているので、人々の熱き血潮に触れることができるだろう。  ワクワク

自宅籠り

○6時半起床。寝しなに要件でたたき起こされたが、それ以外は起きなかった。
○ビニールゴミ2往復。左脚がグラグラ感覚、それと痛いっすねー。
○lineでの電話開通。スカイプより声がクリア。
○フランス歴史地理学書を読み始める。プロヴァンス地方とニエヴル地方理解のために。
○N先生から、第10号落手のご連絡ならびに感想をいただいた。形式感想が多い中で、きちんとお読みくださっているのがとてもうれしい。毎度のこと。以下のように返礼。
☆ご感想をありがとうございました。
 先生が言われる、「複雑で不思議な,人間という生き物と直接出会い,関わる」ということ、私も、生活綴方をやってきた人間ですので、おっしゃることに強く共感します。ただ、私の場合は、「直接」というのがどうしても苦手というかしり込みをしてしまいますので、「間接」(=歴史事象〕になってしまいます。
 「セガン」にのめりこんだのは、まさしく「複雑で不思議な存在者であるはずのセガン」を対象化したからこそのことです。
 そもそもの「セガン」との出会いは、「神聖にして侵すべからざる存在者」「非の打ちどころの無い人格者」として描くべきだ、とするS先生の「セガン像」に強く反発を覚えたことからです。それは新日本出版社の拙著の表現に色濃く出ています。あの本の下書きまでの段階では、S先生は「セガンを悪く言うことは許しません!」と大変な剣幕でしたから(悪い=「理想的なレール」の上を走っていない)。結局、S先生を後継するセガン研究者が出なかったのは、そういったところにも起因していると考えています。
 私は障害児教育の専門家ではありませんので、自分のテーマと方法に沿って、研究を進めてきた次第です。
 学会活動や研究運動・教育運動から「落ちこぼれ」てきた私が、人生の最後の場面で、何とか自分らしさを形にできたと、思います。これからどうするか、何も見えていないと同じですので、見つかるか見つかっても進むことができるか、立ちすくんでいる今日この頃です。

自宅籠り 左脚の動きがとても鈍い

○7時起床 昨夜は2度起き。 マシュマロがとうとう一晩中ぼくの部屋に籠って寝た。
○資源ゴミ出し。
○Hさんに、約束の著書をお送りした。
○エッセイ的なもの
仕事上、海外の小学校を訪問し、子どもたちとコミュニケーションを取ることが多かった(もちろん、大人である教師とのそれも多いのだが…)。それで、時々、自国文化について深刻に考えさせられることになる。ささやかな例を一つ。南フランスの小さな村の公立小学校高学年クラスでのこと―。
ムッシュ・クヮワグシ、日本語では、je(=私)というのは、どう言い、どう書くの?」(なかなか、カワグチとは発音できない)
 近代に入ってから言えば、ぼくが2人目であり、しかも50年ぶりだということだから、日本文化については何も知らない地域性がある。さあ、どう音声で応え、文字表現するか…。いいか、そのままで行こう!
 板書                音声
 ひらがな カタカナ 漢字
  *    *    *
 わたくし ワタクシ 私      watakushi
 わたし  ワタシ  私      watashi
 ぼく   ボク   僕      boku
 われ   ワレ   我      ware
 わし   ワシ   儂      washi
 じぶん  ジブン  自分     zibun
 うち   ウチ   内      uchi
・・・以下略します。

子どもに語ったこと:
「第一人称が実に多様であるのが日本文化の特質。それらを使い分けて自分の社会的位置を知り、そういう行動をとってきたわけです。もちろん現在はそうした多様性も薄れてきていますから、第一人称を実際に使う用例も限られてきています。」
☆ある男児の感想
「ぼくは絶対に日本に住めない。そんなに器用に自分を使い分けられないから。」

だからこそ、日本の多くの子どもたちがこの数十年の間に、「自分探し」を真剣にするようになっているのですね。不登校、引きこもりなどなど。日本社会が変わりつつあることを、子どもを通して、教えられます。