自宅籠り

○6時半起床。寝しなに要件でたたき起こされたが、それ以外は起きなかった。
○ビニールゴミ2往復。左脚がグラグラ感覚、それと痛いっすねー。
○lineでの電話開通。スカイプより声がクリア。
○フランス歴史地理学書を読み始める。プロヴァンス地方とニエヴル地方理解のために。
○N先生から、第10号落手のご連絡ならびに感想をいただいた。形式感想が多い中で、きちんとお読みくださっているのがとてもうれしい。毎度のこと。以下のように返礼。
☆ご感想をありがとうございました。
 先生が言われる、「複雑で不思議な,人間という生き物と直接出会い,関わる」ということ、私も、生活綴方をやってきた人間ですので、おっしゃることに強く共感します。ただ、私の場合は、「直接」というのがどうしても苦手というかしり込みをしてしまいますので、「間接」(=歴史事象〕になってしまいます。
 「セガン」にのめりこんだのは、まさしく「複雑で不思議な存在者であるはずのセガン」を対象化したからこそのことです。
 そもそもの「セガン」との出会いは、「神聖にして侵すべからざる存在者」「非の打ちどころの無い人格者」として描くべきだ、とするS先生の「セガン像」に強く反発を覚えたことからです。それは新日本出版社の拙著の表現に色濃く出ています。あの本の下書きまでの段階では、S先生は「セガンを悪く言うことは許しません!」と大変な剣幕でしたから(悪い=「理想的なレール」の上を走っていない)。結局、S先生を後継するセガン研究者が出なかったのは、そういったところにも起因していると考えています。
 私は障害児教育の専門家ではありませんので、自分のテーマと方法に沿って、研究を進めてきた次第です。
 学会活動や研究運動・教育運動から「落ちこぼれ」てきた私が、人生の最後の場面で、何とか自分らしさを形にできたと、思います。これからどうするか、何も見えていないと同じですので、見つかるか見つかっても進むことができるか、立ちすくんでいる今日この頃です。