Heimat、pays、country、要は「ふるさと」

二度寝という贅沢な朝。
○外出リハビリ
10時40分出発→今谷刑場跡→南柏駅前→今谷上町鎮守様お詣り→11時50分帰宅 6000歩
○今日の散歩の楽しみは散歩コース内で草花を愛でること。丹精に育てているお宅と我が家と同じくほぼ放任状態のお宅、まったく花の存在しないお宅。いろいろあって面白い。


野草も美しく、生命を感じる。

我が家の玄関前の水槽に睡蓮が今年も花をつけている。

○散歩中、いつものように「歴史」の気づきを求めた。今谷刑場跡、野馬土手痕跡・・・


○ちょうど「KASUMI」の裏手にあたるところが野馬土手のあったところ。都市計画による開発で歴史的なものはみんな取り壊され、利便性だけの空間となっている。その開発悪魔の手から逃れた街区に「ふるさと」を偲ばせる二つの「日本語」文化を見いだした。次の本日の心象風景写真。
○「う゛ぁがぼん漂流記」は2000年パリ滞在記録だ。フランス・パリ、いや、フランス文化たるものについてまったく無知である人間がフランス・パリで生活して「気づいた」感情をそのままに綴ったものだ。今、10年余のフランス教育史研究を振り返って「う゛ぁがぼん漂流記」を綴りなあおそうかと思ってきてた。しかし鹿島茂氏の19世紀ものを幾冊も紐解いてみると、無知なるものが紡ぎ出した感性はやはり無知なるものにしか過ぎない、と強烈に思い知らされた。そういう目線から、「う゛ぁがぼん漂流記」を今一度読み直してみたいとは思っている。
○本日の心象風景

弘美のお母さんはよく「髪結い屋に行く」という。これは日本髪を結う文化。「髪結い屋」は「髪切り屋」も兼ねていた。女児がおかっぱ頭にして貰うため。我が家の母は「パーマ屋に行く」といっていた。これは戦後の「勤労婦人」を象徴する言語文化。ぼくは、ずーっと、「床屋に行く」だ。

典型的な「街の食堂(定食屋)」なのだが、「西洋料理」の呼び込みが昔を偲ばせる。今や、我が日本民族は舌が肥え、「西洋」などというアバウトなネーミングには心がなびかない。だからこそ、郷愁を呼ぶのだろうか。