「小人閑居して・・・」のごとき一日 いや、不善はなしてないなあ。

○雨の一日。昨日の遠出もあったことだし、今日は身体を休めている。
○せめてもの外出をと、郵便局へ。窓口のお姉さんに、「今日みたいな日は、ぼくみたいな人間は、家で大人しくしていればいいのに、こういう時に限って何かと用事を見つけて外に出たがりますね。まるで、惚れた女性に振られた直後の男みたい。」 局内一応笑いの渦になったが、まさか都議会のあの問題にリンクしていませんよね。
○ゴム長と傘。右半身(左ではなく!)が異常に重く痛く、左手指が曲げると痛い。
○人様に「元気ですね」と言われれば「ありがとうございます。おかげさまで。」と答えておけばよいのだ。腹を立てるな。
○「自主ゼミ」メーリングリストに以下を投書
川口です。
 ちょっと今日は大きな引っかかりを覚えていますので、皆さん方にとっては乱暴であろう(しかし、「社会的常識」から言えば当たり前だと考えています)物言いの箇所があることを、あらかじめお断りしておきます。
1.まず、ぼくのようなある意味「部外者」(年齢的にも経験的にも)が「参加」することが認められている「自主ゼミ」が、学生団体として大学当局から認定を受ける手続きをしておられるようなので、ぼくはこの「自主ゼミ」のメンバー(名簿上の)であり続けることを辞退します。よって、この投稿が自主ゼミ員としての最後の活動となります。
2.特定の集団内のみにしか受け入れられない社交言語「おつかれさまです」には、以前から不快感を抱いていました(在職中、講義の中でその旨は申しています)。なぜその挨拶を受けなければならないのか、理解できません。このゼミは、上野さんが所属しておられる他の何らかの団体の延長上にあると、お考えなのですか。もうぼくは皆さん方の教師ではありませんから、社会人・一般人としてもの申します。彼我の区別をつけて下さい。
3.「仕付」は、その人の身体の本質(体格のみならず動作等)に合わせ、とくに和服の場合は、将来の身体のある程度の変化・変質を見込んで「仕付糸」を縫い込みます。この点への理解がなされた上でのご意見だとはとうてい思われません。「服は一生ものだから」とはよく言ったものです。だからこそ、仕付をちゃんとしなければ、と。これを人間の行動様式や生活様式の基本を言うことにあてはめたもので、和服の仕付から来ている用語です。上野さんが言われる「洋服」ではありません。なお、「手本、ガイドラインとしての「しつけ」」は、「仕付」にはあたらず「躾」です。「躾」は、「小学生徒心得」が典型的な例ですね。いわゆる「校則」に通じるものです。
4.「保育」の内容(制度的に定められている)についてお調べになりましたか?「言語」の問題こそ、「保育」の重要な実践内容なのです。ただし、文字が書けるとか文章が書けるとかを指す「言語」ではありません。
5.上野さんが考える「家庭教育」は、その論理上から、学齢期にある子どもに対するものと考えていいですね。「保育」についての言及がほとんど無い状態のご発言なので、このように考えました。もちろん、こだわっておられる「ことば」の問題をどのように理解するかを十二分にお伺いしなければなりませんが。
6.床井さんが小生名指して下さったメールは、「川口さん、ごい」の一文でした。その後何か言われるかと思っていたのですが何も申されません。偶然お会いした時(6月14日、自主ゼミ解散後)にご挨拶を交わしましたが、その時にも何も申されません。ずいぶん失礼な方、傲慢な方だという印象しか持ち得ていません。社会的常識・行動様式に欠いている方が何を言っても信頼されないというのが、社会の常識(モラル)です。
 以上です。それでは皆さん、おしゃべり会、思いつき話し合い会ではなく、きちんとした「調べ」(ある程度の予習、上野さんの言われる「半ば強制」!!!))がなされた上での討議ができる「自主ゼミ」として育たれますように。 
 学びの内容が主観的であると、思い込みや誤解を生み、物事を見る目を曇らせてしまいます。レポーターのみが調べてきて後は自由に来た時勝負では、学びに深まりと発展はありませんね。前回のぼくが突如レポーターの役を務めた時の会のように。「ああそんな考えもあるんだ」では「学び」にはなりません。
追伸 このところ、体調が思わしくない日が続いています。「調子がよくなったと思っても後退する時が来ます。そのことをちゃんと理解しておきなさい」とは、主治医の言葉でした。外歩きに痛みが少なくなったと喜んでいたのですが、この1週間ほどかなりの苦痛を覚えます。しかし、リハビリをしないともっと身体が不自由になると思って、支援者の勧めがあると思い切って遠出もしていますが、今は「反動期」なのでしょう。それで、7月3日は、せっかく会場を法経棟に替えて下さったのですが、お休みさせて下さい。