我が人生は悔いばかり

 その最大の「悔い」発端となったのが添付写真。出版書物からのコピーなので鮮明さに欠けるが、お許し願いたい。

 時は2003年7月27日〔日〕、場所はフランス共和国ニエヴル県クラムシー郡クラムシー小郡クラムシー・コミューンのオテル・ド・ヴィル正面玄関口〔要するにクラムシー市役所〕、写っている人は前列真ん中にクラムシー市長〔当時〕ベルナール・バルダン氏、その右隣に清水寛埼玉大学名誉教授、左隣にぼく。大勢の人は、クラムシー市関係者を除いて、「清水寛先生と行く『エミール』・セガン・21世紀平和への旅」の参加者。
 ぼくはこのご一行様の一員ではなく、「清水寛先生」をアシストする立場であったが、旅の途中は二人でケンカばかりをしていた。まさかそのケンカの続きを演じるぼくの人生展開になるとは、その時は思いもしなかった。
 ケンカとは、もちろん、研究上のことである。念のため。
 天下の大先生と正面切ってケンカをするのは損であるということは、観念では分かっている。しかし、この時も、ついつい、まともにケンカをしてしまった。この時大人しくお説ごもっともと承っておれば、本来の研究課題を持続し得たであろうに…・。
〔写真出典: 清水寛編著『セガン 知的障害教育・福祉の源流−研究と大学教育の実践』全4巻、日本図書センター、2004年、第4巻166頁〕