♪知らない街を歩いてみたい、どこか遠くへ行きたい♪(7) ある老軀者の回想

 様々な字体で踊る史料を一枚一枚繰っていった。逐次的に読む時間的余裕もないし、肝心の能力も頼りない。それぞれの史料ページをおおざっぱに眺め、年代と気になる用語をチェックし、目と心が止まった史料ページを丹念に読み、書き写した。−
 ヨンヌ県知事宛オセール市長の請願書、共和国暦12年フロレアル4日付け、「エコール・スゴンデール(École Secondaire)の設立は我が市の大きな関心事であります」に対し、同年フロレアル30日付け、「公教育監督管理の責を負う国家委員会」よりオセールへの公文書、「エコール・スゴンデール設立のために貴市の旧時代のコレージュ(ancien Collège)の校舎を使うこと」との返事がある。
 共和国暦12年は1804年、共和国12年憲法が成立した年である。フロレアルとは革命暦第8月で4月20日から5月19日に相当する。「エコール・スゴンデール」とは中等教育学校。旧来からある中等教育機関であるcollègeとは「差別化」が図られて作られた。つまり、革命後の新時代、台頭してきた新階層・小ブルジョアの教育要求が強く出され、中等教育の門戸は開かれることになったが、貴族や大ブルジョアたちが把持していた旧来からの権益は残しておき、小ブルジョアを代表とする民衆の教育要求を満たすために「エコール・スゴンデール」の設立が要請されたのだった。
 これらのやり取りは、共和国暦11年ジェルミナル(共和国暦第7月、3月21日から4月19日)18日の布告に「オセール・コミューンはエコール・スゴンデールを1校設立することができる」とある(「共和国政府審議録抜粋」)ことを受けてのことである。そして、この校舎にはサン=ジェルマン修道院付置のコレージュ(イエズス会コレージュ)をそのまま充てられた。−
 これらから分かったことは、9世紀に開設されたサン=ジェルマン大修道院のコレージュはその後歴史を連綿と繋ぎ、フランス大革命によっていったん、その歴史を強制的に閉ざされ、革命後の教育制度改革の中で、再び中等教育機関として再生された、ということである。ただし、創設期の性格と革命後の性格とは必ずしも一致していないようだ。
 当初のぼくの知りたかったことと、途中で知り得たジャック・アミヨ校という存在とは、どうも一致しないようだなぁ。まあしかし、これが今のところの限界か。
 古文書館を後にする間際、入り口のくだんの係官が、「オセールのアカデミー(学区)は今はディジョンだけど、フランス革命から50年ほどはパリ・アカデミーに所属していたから、もしさらに詳しい情報が必要ならパリの国立古文書館に行った方が良いですよ。」と、親切をくれた。この時は、「ご親切をありがとうございます。」と口には出したが、心の中では、「おそらくその必要は生じないだろう、近世から近代への橋渡し期における教育史的興味−非常に漠然としたものではあったが−は、一応満たされたので。」とつぶやいていた。
 古文書館を後にしてヨンヌ川沿い目指していく途中、ふと、目に入った文字があった。それは、「サン=ジェルマン職業高校」という立派な看板であった。革命後に「再生」された、かの学校である。そうだったのか。サン=ジェルマン校とジャック・アミヨ校とはまったく別なのだ!

・・・来る時と変わらぬ雄大な農村光景が車窓を走りすぎ、白鳥が羽を休める川や運河が列車を右左と縫ってゆったりと流れていった。オセールから30分ほどのところで、小さな集落の林の中から、中世期の小さな城塔が崩れた姿を見せていた。