ファイルの整理の一日から

○やっぱり<この人(「先生」)>は自立した研究者と呼ぶべきではないことの確認。
「たびたびのファックス便をいただき、恐縮しております。
 私が申し上げてきた「益雄の資料」と言いますのは、以下の経緯を持つものです。
『赤い鳥』の益雄作品、指導児童の作品を「見つけ」、先生にお届けした後日のことになりますが、「『鑑賞文選』には益雄は投稿していないかな。投稿しているはずだ。あなたは生活綴方研究者だから『鑑賞文選』は見ているだろう、探してくれないか。」と先生は仰せになりました。私は「鑑賞文選・綴方読本は見たことがありません。どこにあるかも知りません。ただ、数ヶ月前のことですが、中内敏夫先生から『綴方生活』同人の消息についてお問い合わせがありました。その時のご様子では『鑑賞文選』『綴方読本』の復刻をなさるようでした。ですから、中内先生の所にはあるのではないかと思います。先生からお問い合わせになられたらいかがですか。」との内容を、清水先生に申し上げました。しかし先生は、私(川口)が問い合わせて入手してほしい、旨のことを申されました。この会話のやりとり(電話です)が、先生と私との「今」の関係をつくった遠因となっています(私にとってのことです)。覚えておられますか?」
○2008年頃からぼくは「老化」一直線であったようだ。「大地の会」での報告より。
1.元気です。条件は付きますけれど。
 メタボはやあね。腰痛もやあねぇ。肺気腫もやあねぇ。躁鬱もヤです。
2.耳の具合はあまりおよろしくございませんことよ。左耳は完全にコミュニケーション・ツールとしては意味をなさないことが判明。
 音の波長によって聞き分けをするという大変優れた機能を自然から預かった私たちではありますが、それはあくまでも原理原則であって、生理機能ですから生理そのものが壊れてしまえば自然機能は働きません。
 なんだか音は聞こえるのだけど何言ってんだかー。 ← これが左耳の現況
 なんだか言っているようだけどもうちょっとはっきり聞こえたい ← これが右耳の現況
 で、今まで左耳を捨て置き、右耳に補聴器を装填して対応させてきました。その補聴器は、言ってみれば拡声器のようなもの。やたらめったら音を拾って耳の中でガンガン鳴る・・・カラスさん、応援団さん、チアーのお姉さんたち、そして会議室内のお茶を啜る音さん、ペーパーをめくる音さん等々、立体感無く耳に飛び込んできますが、肝心要の人の声は、われる、響く、届かないなどのため、聞き分けることさえ、難渋してきました。
 で、
 聴覚検査なるもので機能・能力を精緻に測り、それに応じた、そして人の声に対応する補聴器を作ることになりました。・・・・んんんんんんんんんんんんんんん 高い   があああああああ。(すんません、ネコがキーボードの上歩いたままを記録に残します)
「左耳はね、母音を聞き取る機能が重度障害以上で、どのような補聴器であってもカバーできません。そのほかの音の波長も重度障害です。」← 冷たいお言葉。
「右耳はね、聞こえない、聞こえが悪いというほどではないけれど、まあ、全体的に軽度障害。ある音の波長に対しては中度障害ですね。」← 暖かいお言葉、ではないですねぇ。
「で、補聴器つくりましょう! 少なくとも、会議中のカラスの音は入ってこなくなります。(馬鹿笑い)→(お追従笑い)」
 それは魅力的だ、というわけで、補聴器をつくりました。ファッション性もいいとかのことです。
 ですが・・・・、絶望はしませんが、希望という言葉をぼくの辞書からは追放しました。
3.大学教育はきわめて実技実践的に成り下がっています。頭を使うのが嫌な学生たちはとても元気で盛り上げてくれます。
4.「エドゥアール・オネジム・セガン」(おそらくこれを以て最終稿とする)執筆開始。本日持参。
 以上です。
○夜、イザベル・サン=イヴのドクター論文(1914年)を読む。
○室内整備。ちょっとゆとりを…・。