暖房機入る

○基本的に冷暖房を使用しない生活を送ってきたが、今得ている病は急激な冷気に十分気をつけなければならない、とか。我が居室はエアコンを設置する壁空間と電気コンセントは備えられているが、機器は入っていない。だから今回のこともあり改めて設置することも考えたが、床上設置で間に合わせようと、昨日購入した。これと同じものはすでにリビングに設置しているが、色合いが異なる。我が仕事空間に似合うだろうか。
○廃棄してしかるべき回転椅子にはタオルを掛け、その上に座椅子のようなものを置いた。
○あとは、バイクのペタル漕ぎ機が来れば、ぼくのリハビリ・仕事居室はできあがりとなる。

○「神話」の裏側にあるもの 執筆構想開始
○In memory of Edouard Seguin, being remarks made by some of his friends at the lay funeral service held october 31, 1880. 再入手。2004年1月以来のこと。
 セガンがサン=ルイ校を出た後、医学の道に進んだ、というのはこの中のブロケットの弔辞で明確に述べられている。津曲裕次氏がこのこだわりを長く捨てなかったのも、ここにあったのだな。今さらながらの気づき。イタールに師事し、手引きを受けた旨。しかし、セガンの1846年著書のまえがきで、セガンは、「イタールはほとんど何も言わなかった。だから著書や各種資料から学んだ」と綴っているぞ。
 *ブロケットの弔辞はよく引用されてきた。しかし、今のぼくの到達からすれば、ガセネタの元凶の一つにしか過ぎない。ラ・サルペトリエールの医師であったエスキロールが、セガンを、ビセートルで白痴教育にかかわらせた、その果実が1838年の第一著書だという。バカも休み休みに言ってほしい、とぼくなら言うが、津曲、清水両氏は盲信。
 津曲氏、清水氏の初期セガン研究は、ブロケット弔辞のなぞりでしかないことが判明。1960年代の我が国の「セガン研究」とはこんなレベルだったわけだ。それが、ぼくがセガン研究に出会った2003年でも、何も進歩していない、津曲氏、清水寛氏。わずかに北海道の藤井力夫氏がセガン研究の新しい地平を開いている(2001年)、津曲、清水両氏は、まったく無視の状態。
 *セガンがressourceというのを、ブロケットがcostという。セガンが白痴の子どもを養いながら教育を施したという、まさに聖人セガン像がブロケットによって造られていたのだ!
○Séguin, Édouard (1812-1880). Rapports , mémoires sur l'éducation des enfants normaux et anormaux / par Edouard Séguin ; traduit de l'anglais par A. Boutillier ; préface par Bourneville. 1895. 再入手。 『教育に関する報告』フランス語翻訳版
○フランス語の入力能力が極端に落ちた。それは、一つに、左中指薬指小指のタッチタイプがうまくいかないこと(上下左右の隣のキーと同時タッチが為されてしまう)、二つに、左目の能力が極端に落ちてきていること。受け入れながら少しずつ慣れていくしかないだろうな。