完全休養日

○今日は一切のリハビリを取りやめ。体の疲れを取るため。
○いい天気、陽射しも明るい。布団と枕干し。
○庭のカナヘビ。この子は道路から階段を登って庭にやってきました。まだ小さくて、階段を登るのにうまくいかず、右往左往上下あれこれ、試行錯誤していました。慌ててカメラを取りに自室に戻り、外に出ますと、すでに庭(車庫屋根コンクリート)をチョロチョロスーイとやっておりました。

蜘蛛の糸の撮影を意識して。うまくいったと思います。

○「時間の経過」を写真でどう表現しようか、などと、プロでもない者が愚にもつかないことを考えてきた。もちろん、写真学校に通ったりお師匠さんに付いたり、写真展に出かけたりして学べばいいものを、自我流でやろうとするのだから、当然その成果など望むべくも無い。
 何でこんなことを考えるようになったのかといえば、仕事がらみで入手するリトグラフや写真には、どうやら「時間の経過」の表現を狙ったらしいのが見受けられるのである。じゃあ、自分なら、それぞれの時代の文化状況の中にいるとして、どう表現しただろうか、と。
 そもそもは「動態表現」を狙ったもので、18世紀のある戯画で、ポスター貼りを見とがめられて大慌てで逃げる場面がある。政治的弾圧の一場面だ。

 この「走る」様は多くの絵画や19世紀に「発明」された写真技術にも採り入れられていく。ただ、写真の場合は露光の関係で、「やらせ」にならざるを得ないはずだ。
 1871年のかのパリ・コミューンは写真技術を大きく革新したという副産物がある。その事については写真史で語られるだろう。写真家の一人レオーテ(Léautté 1840-1893)は写真の最前面に動きによるボケを取り込むことによって「動き」かつ「時の流れ」を表現しようとした。戦闘で破壊されたオテル・ド・ヴィル(パリ市庁舎)を背景においている。

 それにしても、まじめに勉強しておけばよかったと、反省することしきり。