たまにはパリ・コミューン

○今日はほとんど布団の中で休養している。その旨をトドちゃんにメールしたら「ついに寝たきりに・・・・(爆)」と、からかいが返ってきた。そう、今日だけ限定寝たきり。そのおかげか、膝が痛いのは消え、歩くのが軽く感じる。しかし、相変わらず、左脚が上がらない。これさえなくなれば、行動の自由が広がるのになあ。
カール・マルクスレーニン経由日本着の『パリ・コミューン1871年)』論に学んだ多くの研究者は、ソビエト教育学を下敷きとした訳語を使用しておられる。それも一つの研究的な立場であり改革・革命運動の立場でもあるだろう。悲しいかなぼくは、改革・革命的立場を内面で志向しながらも学力が伴わず、ソビエト教育学から直接の影響(学び)はしてこなかった。そしてそれが幸いして、『パリ・コミューン』関係資料は翻訳物ではなく当事史料そのものの入手、読解をするという幸せを得ている。当事史料とぼくとが直接対面する、ということだ。
 パリ・コミューンの大きな業績に、教育改革がある。公教育の義務(権利)・無償・宗教からの自由(世俗教育)を提唱し実現に着手した。(これはフランスの現行教育制度の先取りである。日本の教育基本法も「無償」が義務教育のみに限られている問題点はあるが、おおよそ恩恵を被っている。)その他に、職業教育のための学校開設がある。当時は、徒弟制による職人教育に頼り、一方で台頭を始めた近代資本主義下の工場での過酷な労働と搾取に耐えられるような、支配権力に忠誠を誓う道徳性の教化教育に頼ろうとしていた教育現実に対し、「労働者教育」を提唱し、そのための学校を設立したことだ。
 この労働者教育(職業教育)の性格を一言にすると、l'instruction Intégrale が原語。これには、ソビエト教育学の影響を受けた「総合技術教育」という訳語があてられてきた。「全面発達」論の立場からである。もとの文章(史料)にある具体的な教育活動、カリキュラムでは「職業の実際的な訓練を受けながら科学や読み書きの教育を受ける」と喧伝されているだけだ。ソビエトでの「総合技術教育」はここから出発し、やがて完成されていくべき課題だと、後年認識され、実践されただろうけれど。
 ぼくはこの原語に対して、「全面発達」とはどうしても訳語内容をあてはめることができない、「全体的発達」(故・川合章氏)を目指す「全体的教育」なのだ。
(拙著「19世紀フランスにおける教育のための戦い セガン パリ・コミューン幻戯書房、2014年、「パリ・コミューン」の章に詳しく綴りました)