11月22日に引き続き「リンゴの話」第3弾

○梯子の昇り降りの厳しい訓練の後、マメができるほどの熱くなった手の平にそっとリンゴを握らせる。
 それは一つに、ぼくにも身に覚えがありますが、そのままにしておくと手の感覚が無くなり続きの活動がしばらくできない状態になります.知的障害を持つ子どもの多くが手の運動が活発にはできにくい症状を見せていますから、そのままにしておくことは望ましいことではありません。それでなるべく早く、平常の感覚を呼び覚ますために、リンゴの冷たさで手の平を冷まさせるわけです。とても気持ちよく感覚が呼び覚まされていきます。セガンは別にリンゴにこだわったわけではないですが、フルーツの持つ冷感を大切にしていることは事実です。
 二つに、リンゴのような、手の平に収まるフルーツは、「握る」ことが容易です。手に包み込むようにそっと渡されたリンゴを、子どもは、落とすまいとして指先に力を入れて握ります。このことで、指に力を入れる、という訓練につながります。
 その訓練ー感覚訓練ーを終えた後に、清水寛先生が、ぼくをセガン研究に案内して下さったはじめの頃に、セガンの人間性のすばらしさを強調するためにぼくに言ったのだろうと思いますが、おやつとしてリンゴを食べる楽しみもあったかもしれませんね。でも、これが主たる誘因として位置づけられるはずはありません。
 この実践は、セガンのフランス時代の主著ータイトルはとても長いので、省略して「1846年著書」と呼びますーにも(355頁から)、アメリカ時代の主著ー「1866年著書」ーにも(112頁から)綴られています)。その意味では、セガンの知的障害教育を象徴する一つの事例と呼ぶことができます。「手はからだの外に出た(第二の)脳」というきわめて意義深い哲学に基づいているのです。
 セガンのこうした実践を丹念に分析し評価した本格的本質的な研究は、元北海道大学教授の藤井力夫先生をおいて他に見ることはできないと、ぼくは考えています。藤井先生はセガンから学んだことをご自身で実践すべく、大学教授の職をなげうち福祉施設の運営をなさっておられます。誰よりも尊敬するセガン研究者であり実践家です。
○ちょっと引っかかり続けていたことを別項で綴った。以下のアドレスへ。
http://d.hatena.ne.jp/kawaguchi-yukihiro/20141125/1416891200