はかない宝石 および 「リンゴの話」第4弾 シリーズ話最後

○雨の日の宝石

○小さな小さな花束を捧げます。

○「リンゴの話」第4弾  シリーズ話最後
 この話のシリーズは「把握力」を培うところにありました。梯子の横棒を掴んだらその上の横棒を掴み体を引き上げ…という連続の行為をします。簡単なようですが、人間は先の見えないことに取りかかるのには、まず「抵抗」をするものです。梯子を登って上に行くと理解できれば手足をそれにそうように動かすものですが、実践的にそうは簡単にいきません。セガンの実践的創意工夫たるや、ほとほと感嘆します。ほんの一場面。
 「(垂直に立てかけた梯子を使って) 子供を一方の側に、先生は他方の側にいて、先生は自分の手を子供の手に重ねて梯子をにぎらせ、身体が落ちないように、自分の重さを自分で支えさせてやるのである。」1866年著書薬師川虹一訳本(障害児の治療と教育 ミネルヴァ書房)、91頁より。
 1842年の実践記録では、この梯子の長さ(高さ)は5メートルとあります。ヒエーッ、ですね。「誰も怪我はしなかった」と報告しています。ホンマに5メートルなん?と疑問に思ったのですが−なぜ5メートルなの?という問いにつながります−、セガンのさまざまな教具を収集し新たに作って医療現場での教育実践に活用したブルヌヴィルという人の記録やその場面を記録した写真を見ると、間違いなく5メートルの、煉瓦や石灰石を積み上げて建築物を作る「積み上げ工(職人)」が使用する梯子がモデルになっているのですね。
 セガンの思想の中には、子どもたちが社会に出て働く人として自立する、というのがありますから(働く権利主体)、訓練は「働く」ことにつながらなければなりません。機能主義的訓練ではなく生活主義的訓練を意図していたという意味で、私はセガンの教育を「生活教育」に位置づけて捉えています。
 そのセガン、じつは、20歳の徴兵検査のおりに「身体虚弱にして右手奇形」と結果が出されているのですーこれは公文書記録に残されています−。従軍が不可能というほどではなかったようですが、それにしても、1836年あたりには死線をさ迷うような重病を患ったとか。こういう彼自身の「身体」の問題を併せて考えると、「把握力」を培うための実践に要する身体能力を彼自身に養うには、相当の努力と工夫と節制があったと考えざるを得ません。
 以上、セガンのライフヒストリーを追いかけていく中で、見えてきたことの一端のご紹介でした。(追記)この梯子実践やリンゴにまつわる話は、拙著『知的障害教育の開拓者セガン−孤立から社会化への探究』(新日本出版社、2010)ならびに『19世紀フランスにおける教育のための戦い セガン パリ・コミューン』(幻戯書房 2014)には綴っておりません。