風邪3日目

○朝、熱はないが、鼻水が多い。昨日よりはましなのだが。
○「もっとも尊敬する国内の学者は誰か?」という質問を受けたら、「安川寿之輔」の名前を挙げる。名古屋大学名誉教授、日本近代思想史家、そして何よりもラディカルな福沢諭吉研究者。埼玉大学勤務時に同僚であった学者だ。
 私にとって身近なのは、「エドゥアール・セガン」研究の、巷で言われる「セガンはルソーの『エミール』の影響を受けた父親の子育て方針によって自然主義教育の本質を身につけ、それをベースとして知的障害教育を開発し、理論化した」という「定説」に対し、「障害者差別の本の影響を受けて障害児教育を開発した?そんなアホな。」と、いわば一顧だにしない姿勢を貫いておられることだ。この安川氏のラディカルな(根本的な)姿勢が、じつは、ぼくのセガン研究の根に横たわっている。そして詳細に研究を進めていって分かったことは、その「定説」は誤りである、ということだった。もちろんそれは、セガンが自らを偽って語っているということの判明であり、これもまた新しい「セガン」像となって現れた。
 要は、安川氏から強い影響を受けたのが、テキスト・クリティークという研究姿勢(物事を見ることにも通じる)。その安川氏からミニコミ誌『さようなら!福沢諭吉!』創刊準備1号が送られてきた。布団に潜りながら、熱が遠のくと、雑誌の頁に目を走らせ、心を躍らせている。
○以下の書簡だけは、日記にちゃんと止めておきたいと決意。(2012年10月末の「セガン生誕200周年記念国際シンポジウム」より帰国して)
「清水寛先生
 11月2日、無事帰国いたしました。帰国後は校務があれこれと迫っているため、取り急ぎ、シンポジウム報告を兼ねた『セガン研究報』(最終号)を作成し、お手元にお届けしました。しかし、「急いては事をし損じる」のことわざ通り、必ずしも致命的なミスではありませんが、やはり好ましくないミスが数カ所ございましたので、改訂版?を作成しました。同封いたしましたので、ご確認ください。また、同封いたしましたのはセガン生誕200周年記念シンポジウムのプログラム(現物)です。ご査収くださればと存じます。
 これにて私の「セガン研究?」に終止符を打つことができます。2004年の先生の御大著出版に関わって先生からご依頼いただいた−というより、私にとっては「ご下命」に近い言葉の響きがございました。おそらく先生からいろいろと「ご依頼」を承った若い人たちも、私と同様の心持ちであったろうと推測します−作業は、ご出版時に課題として残されてしまったすべてが終了したわけですので、これにて、先生とお別れすることができます。
 「清水寛」というお人を私はどのように受け止め、コミュニケーションを取らせていただければいいのか、さんざん心を迷わせました。「偉大な先覚者」「同窓の大先輩」「研究の同志」その他にもたとえようがございましょうが、それらすべてが私と「清水寛」というお方との関係のあり方でした。しかし、常について回ったのは、2005年9月末に私に向けて発せられた、次の先生のお言葉に象徴されている強迫性関係です。
「ぼくは、これからはセガンどころではない、近藤益雄です。あなたもそのつもりでお願いします。」
 「清水寛」がセガンを捨てて近藤益雄に方向転換するのはまことにご都合主義的ご自由なのですが−社会的にはどうなのかは疑問の残るところですけれど−、何故に私がそうしなければならないのか、少しもご説明が無く、次から次へと、研究の基礎的な作業(史料読解等)を命じられました。
 かと思うと、「あなたのところにある史料を閲覧し、勉強したい、あなたのところで<指導>を受けたい、あなたのところに通います。」とおっしゃるので、私は先生用の机と椅子を用意し、いつでもお越しいただく体制を取りました。けれども何のご説明もなく、この数年間に及んで、一度もいらっしゃいませんでした(斉藤教授の研究室には何度も顔をお出しになっているという情報は事務方から報告いただきました)。「もう用済みだよ」とおっしゃってくださればその空間や史料を他に回すことができるのに・・と何度思ったことか。
 こういう関係を先生のお好きな言葉「友情」というのでしょうか?「使い捨て愚知恵袋」だったのでしょうね。
 2005年の先生の御大著の出版等をお祝いする会で御公言なさった「セガン生誕200周年記念に参加し、フランス語で報告しましょう。それまでにセガン学会、少なくともセガン研究会を発足させましょう。」は、先生はその場の気分の高揚からであったのかもしれませんが、私にとってはそれからが茨の道でございました。何とかその道を歩んで参りましたけれど、ようやくゴールに到着いたしましたので、誰からも命令や依頼を受けない自身の道を進んでいこうと決意いたしました。
 以上、私が「清水寛」というお人に「先生」という尊称をつけることを最終的に選択した理由を添えた、お別れの言葉でございます。
 それでは失礼いたします。御身御大切にお過ごしください。」