「そして、人間になった」

○「そして聾唖者は人間になった」
 現在の私たちがこの文言を現在の感覚で解釈するとどうなるか。おそらく「とんでもない表現だ。聾唖者は人間ではないというのか」という声が飛んでこよう。
 では、時を19世紀半ば以前に戻そう。かのフランス革命を経て半世紀ほどのことだ。フランス革命で「人間が解放された、市民的権利を得た」とよく言われるが、そんなことはない。女性が政治的参加を訴えて、革命政府によってギロチンにかけられたという事例を挙げれば十分だろう。この女性、オランプ・ド・グージュは、フランス革命で宣言された「人間と市民の権利宣言」を「男性と男性市民の権利宣言」だと強く批判し、「女性と女性市民の権利宣言」を起草した。フランスにおいて、女性が、男性と同等の権利を得るようになるには、それから100年、いや、学校レベルで男女が席を並べて学ぶことになるようになるのは、それからさらに時を必要とした。
 冒頭の表現に戻る。これは、聾唖者が、その社会の一員として過ごすために必要とされる知識・技術を、教育によって修得するとができる、そして労働によって社会参加することができるようになった、ということを端的に説明したものである。聾唖者に対して、手話法が「聾唖者社会内のコミュニケーションツール」に留まるのではなくて、教育方法として確立された、ということの説明である。そして、これはじつに18世紀の偉業なのであった。19世紀はその成果を継承し、さらに豊かに発展していく。
 何に継承され、発展していったか。「知的障害教育」に、であった。冒頭の表現者セガンは、「こうして、最後まで残された「人間でないとされてきた階層・イディオ(知的障害者)」は、人間になったのである。」と言う。それが1843年の論文の冒頭に、誇り高く、綴られている。