1843年論文第1部チェック

○寒さのせいか、左半身が、まさしく「不調」。腫れぼったく痛い。歩きも苦痛ですらある。
○気のせいではなく、目も不調。文字がこれほど読みにくいとは。休み休みの作業。
○1843年論文の第1部、記述される子どもの名前(その他属性)のリストアップ。彼の記録を細かく見れば女児も関わっていたことが分かる。いままで、Fèlicité X.嬢の存在は承知していたが(「1839年一杯関わった」)、それ以外にも女児名が記述されている。la jeune A… F… âgée de huit ansとある。いつ関わったのだろうか?ちょっと整理してみる。
 1838―1839  「アドリアン」少年へ→実践記録公刊
 1839     フェリシテ X嬢の教育
 1840―1842? ピガール通り「白痴・痴愚の子どものための教育施設」 男児3人
 1841―1842  男子不治者救済院「白痴の教師」 10人の男児 1日4時間 
 1843     男子養老院(ビセートル)内「学校」の「白痴の教師」 住み込み全日指導
 ビセートルでは雇用条件として住み込み、24時間指導を命じられているから、1842年までの期間が不明である。もう少し読み込んでいかねばならない。手許に関係資料を残していないので、困った事態にはなっているのだが…。
○白鳥写真アップできる?