中島和美君のこと

○昨夜見た夢。飲み屋のようなところにぶらりと入っていったら、後ろ姿の白髪の大工刈りの男性が悠然と座って一人酒をあおっていた。ぼくが入店をしたのに気づき彼がふり返る。中島君!  それから二人は酒を酌み交わし…てことはなく、シーンはまったく別になる。古い大名屋敷跡に作られた木造の学生サークル長屋。ぼくは何かを探してその長屋の列に沿って歩く…。いや、広いこと広いこと。で、目的を達したかどうか、夢の結末を見たか見なかったかは記憶にない。
○中島和美君の情報に接した最後は、かれこれ15年ほど前になるか。某出版社から彼の身元保証ができるか、という問い合わせだった。彼からはなんの申し出はなかったから否と答えることもできたが、ウィと返事した。その後どうなったのか、出版社からも彼からもまったく音沙汰がない。
○中島君との出会いは、ぼくが大学5年生になった年。彼は1年生。以降彼とは、人生丸ごと伴にする期間が長く続く。埼玉大学勤務最後の時まで彼とぼくとは一緒に歩んだ。ぼくが結婚するまでは、アパートも一緒、寝る部屋だけが違った。起きている間はどこでも彼が隣にいた、という印象がある。麻雀、ビリヤード、ドイツ語、文学、人生論…・。彼が卒論でフィヒテを書いている時、ぼくは修士1年。「第2卒論」と称して、「ペスタロッチの言語観」を書いた。これが埼玉大学への採用の決め手の一つになったと語る某教授がいたのだった。ただ一つだろう、彼とぼくとの違いは、彼が高倉健などの「裏街道人生映画」をいたく好んでいた、ということだ。全共闘的な感性の持ち主だったのだろうなあ。
○夕刻まで「1843年のセガン」第2号執筆。いろいろと手直しが必要だろうけれど、とりあえず完成した。いつ配布するか?