自室再々…整備

○昨年4月からこの部屋の住人になって、背中に背負ったリュックと不自由になった方の手でも持てる大きさと重量とを勘案しながら、ああ、あれがいいなあ、これはどうだろうか、とちまちまと買い込んできた部屋用の小道具が、もう満杯状況になってきた。箱やら板やらを利用して設置した仕事用のディスク、ぼくが寝るためのスペースと、布団をたたみ置くスペース、プリンター設置スペースがぼくが入室して整備・設置されたもの・空間。その他に前の住民の書架や各種ぬいぐるみなどなどがある。それらももちろん有効利用。
 今数え上げたそれぞれもいろいろと設置や拡充に工夫を加えている。今日はちょっと贅沢気分を味わおうと、半畳用のマットを購入した。けっこう重いので、その他の買い物と併せて持ち帰るのに、ちょっと苦労したが、気分は開放的になっている。冗漫につけ加えれば、学生時代の下宿と同じスペースで同じ必要品が揃ったが、学生時代の方がまだ贅沢だった。麻雀卓代わりになる電気コタツがあったから。
○レッシング『人類の教育』を紐解き始めたことによって、「1843年のセガン」第3号の再構想の必要性が生じてきた。まあ、ゆっくり歩めばいいから。ぼくがただたんに無知であっただけで、哲学思想史上、かなり重要な位置を占めているようだ。セガンが、芸術批評や白痴教育論に彼の名前を再三引用している意味をもう少し深く探り当てたい。