清水寛先生への返信

○清水寛先生からお葉書便りをいただいた。「1843年のセガン」第2号第3号への礼と感想・疑問など。次のように返信。
○清水寛先生  通信「1843年のセガン」第2号第3号に対するご感想をお寄せいただき、ありがとうございました。いただいた唯一の感想であり、たいそう喜んでおります。
 ところで、小生の身体へのお気遣いをいただいて恐縮ですが、先生の方こそ、その後いかがでしょうか。御身大切にお過ごし下さらんことを、切に願います。
 さて、いただいた感想から―
1.まずこの通信は、問題解決のためではなく、問題を抽出するための手段として用いているということをお伝えしなければなりません。たとえば「実証主義哲学」とセガンとをつなぐ研究はこれまで無かったと思いますが、サン=シモン主義の哲学は「実証主義哲学」を本質とするところですから、セガンの教育論もその視点で捉えていきませんか、という提起になったわけです。後継するであろうセガン研究に託した課題提起とでも言いましょうか。その意味で、今後タイトル予定としている「白痴は障害である」とは、セガン自身の言葉であり、「1843年論文」の冒頭部に登場します、というご案内程度になります。しかし、「白痴は障害である」とのテーゼを提出したのはセガンが初めてであり、それも「1843年論文」が初めてである、という「重み」はお伝えしたいと考えているところです。ついでながら、「白痴は障害である」の記事は通信第5号回しにいたしました。
2.『ガゼット・メディカル・ド・パリ』に掲載された『1843年著書』書評子の氏名はまったく不明です。無署名記事ですので。ただ、さすが医学新聞だけあって本質を突いた書評内容であり、最後尾の書きぶりは、救済院総評議会に対する批判意識が強く見られ、セガン実践賛美の様相を示しています。セガン実践を目で確かめ高評価を下した医学博士フェリュスの可能性が強いと推測しています。フェリュスはビセートル改革に大きな力があった人ですが、別の記事でD.F.とのペンネームを使用しているようです(ペリシエらの研究による)。
3. 「白痴を治す」ということについて。精神医学に定着している「白痴」論は、病気でない、終生変わらぬ状態だ、ということでした。「白痴」の教育可能性を仮説で出したベロームもそれを前提としているようでした。では、「教育」の可能性とは何か?身体、知性、道徳性の「向上」に密接に関わる、と。それは全ての白痴に有効なのではない、というのもベロームの前提になっていますし、我がセガンの立場もそうです。このあたりをどのように「言葉化するか」は、門外漢の私には理解が及びません。現実に移して考えてみます。「病気が治る」?厳密に言えば、治る症例もあれば治らない症例もある。この現実を「白痴」にあてはめることが可能なのでしょうか。分かりません。結局、「治療教育」という概念が後に生まれますが、その前哨のような気がします。
4.「関係感情」について。「道徳的感情」と同意かと私は理解しました。
 私はセガン研究のテーマとしたことは、(人間的)自立、でした。前々から申し上げていますように、知的障害教育の領域に足を踏み入れるつもりはありませんでした。もちろん、その能力も持ち合わせていません。ですが、「自立」と「障害児教育」との境界領域があることを知っていながら逃げ回ってセガン研究を閉じることの「卑怯さ」を覚え、「1843年論文」訳出を決意した次第です。
 中野善達先生の訳文のままそれを「セガンの知的障害教育の本質」だとすることも、やるせない思いでおりました。これは、中野先生のセガンに対する姿勢が「実証的」でないことから来ていることですので、やはり、「実証主義者」の川口としては、このままにしてはおけない、という気持ちを持たせたとも言えます。藤井力夫先生も「中野セガン」の改訳の必要を感じておられたことは、藤井セガン研究論文に明記されておりましたし。
「1843年のセガン」第4号をお送り致します。今号は「憶測」ならぬ「推測」記事が半分を占めています。父親の政治力を背負って白痴教育の路を開拓したセガン像を好意的に推測しました。フランス社会なればこそのことだと確信はしていますが、証拠は何一つありません。それでは失礼します。