無駄紙物語

○午前中一杯左腰の痛さに苦しめられる。歩くのもままならない状態。その中を床屋に。恒例の床屋談義は書くほどのことはなかった。残念。姫さまから「美紳士になって帰っておいで」とメールが届いたが、文の後ろに、舌出し顔のマークが添えられていた。ヘン、そうですよ。だから返信「醜珍士で帰宅」と。
○「セガンの1843年」封筒詰めを終えた。月曜日に郵便局へ持っていく。
○「セガンの1843年」次号(第8号)のために、医学百科事典をフランス国立図書館データベースよりダウンロード作業。大変。13冊分ダウンロード済み。まだまだ。セガンは当然掲載されていない。
○この時期、大量の無駄紙が舞う。平素、平々凡々権力の鬼化したる者が、この時に出番となるや、しゃっちこばった姿と声で、代表一名を読み上げると、「以下同文!」とやり、本人はそこにこそ権力の権力たる偉大さが込められていると、胸内では、「えへん!」とやっているはずだ。
 私はこの儀式が大嫌い。「以下同文!」ならぬ「以下、ドブン!」と影で唱和される扱いしかされたことがないというひがみが無いとは言わないが、日常鬼化、儀式神化するあの輩が、どの段階の者であれ、どうしても好きになれなかったので(今でもそうだ)、高校の卒業式以来、強要されなければ出席しない人生を歩んできた。
 上に無駄紙と書いたけれど、「お前の履歴・経歴を証明する実物を見せなさい、でないと、お前の履歴書の記述を信用しない」と言われた時、有益な紙となるとはいっておきたい。私は今まで無駄紙が有益な紙に変身したことは一度もないので、「えーと、あれ、どこいったっけ?」ぐらいの扱いになっている。(そして見つからない。)
 話はついでに、有益な紙であるはずが無駄紙になってしまったという実話を紹介しましょう。
 ある尊いお方が、今さらなんですが、さる学会からあるすばらしいお仕事を称えられて、表彰を受けた。「川口さん、ついにいただきましたよ!」と賞状(有益な紙)をご呈示なさった。
 お手渡しいただいた有益な紙をおそるおそる拝見すると、いわゆる漢文体で綴られたお褒め文章に、、(点)や 。(丸)が青インクで書き加えられている。尊いお方曰く、「ここの学会長は、点丸を打たない悪文の持ち主で、皆さんに読んでもらおうと思っても分かりにくいから、私が書き加えました。」と。
 尊いお方は、その行為が有益な紙を無駄紙に転換する行為だということは、露もご存じなかったようだ。いや、それよりも何よりも、尊いお方の「取りまき」が漢文体賞状を読むことができない「社会的学力」のない者たちなのだ、と見下して日常接しておられたのだなあ、と分かり、切なくも悲しい「尊いお方の実像の発見」の瞬間であった。