科学アカデミー1843年12月11日

○ひょっとしたら大きな間違いを犯してきたかもしれない。1843年論文の評価かと思ってきたが、まともに向かい合って読み出すと、1842年論文に基づくセガン評価に思える。最後まできちんと読み切ろう。
○ただ、眼は相当苦しいぞ。ガンバレ。何とか工夫しなきゃ。読めないわけじゃないんだから。
○科学アカデミーのセガン評価、今までのところ次の如し。
報告(王立科学アカデミー1843年12月11日会議)
生理学 ― セガン氏の、白痴と痴愚の青少年に適切な教育・訓練の方法に関する論文についての報告 (セル、フローラン、パリゼの委員会 報告者パリゼ)
 去る5月8日の会議において、セル氏、フローラン氏、そして私とで構成される委員会に、白痴と痴愚の青少年に適切な教育訓練の方法に関するセガン氏の短い論文の審査が付託された。本日ここに、皆さん方に、審査結果をお目に掛ける次第である。
 この方法を適切に評価するためには、何よりも、白痴の状況についての明確な観念が形成される必要がある。また、できれば、白痴たちの知性と通常の者の知性、すなわち大多数の人に共通する知性とを区別する間を測る必要がある。それは、我々自身の本性の不完全性(発達可能性?)を解明することができる、否むしろ、優れた資質を発達させ確かなものにさせるにせよ、悪と立ち向かい欠点を直させるにせよ、我々の器官の甚だしい多様性を解明することができる研究分野である。
 目をひくほどに心に生き生きと訴えかけるのは泰然とした詩人の言である。あなた方が白痴について正しいイメージを抱くためには、白痴たちが暮らしている精神病院に行き、彼らに会い、彼らを教育しているセガン氏にも会うことだ。なんという光景!ある者は激しく動き回り、わめき、叫ぶ。ある者はじっとしゃがんだままで、押し黙り動かない。まるで人形だ。あなた方が初めに声かけをした者はケタケタ笑って逃げ去る。二人目はお辞儀と手へのキスを何度も何度も繰り返す。三人目は十字を切ってばかりだ。四人目は地面に寝っ転がる。五人目は意味なく笑いながら拳を口に突っ込む。あなた方が彼らに出す質問には分かる回答は何一つ無い。言葉は不明瞭だし、声は内にこもっているし、はっきりしないし、発音も不明だ。さらに加えて、二人に一人、半身不随の、盲目の、癲癇の、中風の白痴たちは、唾と糞便でまみれている。彼らをいくらか普通に動かせるのは、彼らの必要と欲求とを満たすためでしかない。
○ウージェーヌ・シューの『パリの秘密』の記述を彷彿させる。そして、セガンが書いているのより、こちらの方がよりリアリティがある。これを読んでも「セガンの実践は私が行ってきた知的障害児教育より軽いと感じた」などというだろうか。
○車庫屋根庭に春がうごめきだした。


○アリンコにも春が来ているぞ。オオイヌフグリの蜜吸い光景。

○自然のアール・ヌーボー