セガン評価翻訳再開

○好天気の今日、窓を全開にして部屋の空気をリフレッシュ。
○朝、歩行訓練少々。左脚膝下がどうしても外に向いてしまう。着地が足裏全体ではなく左に偏る違和感を感じる。元もと癖のある脚であることは自覚しているが、歩行訓練の際に、強く気になり始めた。骨のゆがみなのか。それとも筋肉の動作の問題なのか。
○今朝は脚膝を高く上げて歩くことを意識した訓練。要は軍隊行進をイメージすればいいのだ。セガンが屈強な兵士の歩行・行進をモデルにすることをしばしば述べていたように。それで、ハードル(障害物)用の本に背丈の高いものを用意した。今日の本は、古書・フランスの少年向き旅行ガイドブック(豪華装飾板)『パリから大西洋へ De Paris À la Mer 』。高さが30余センチある。これは脚を高く上げて進む訓練だから、後ろ歩きの訓練はしない。後ろ歩き訓練は『サン=シモン著作集』にご登場願った。

○好天に誘われて買い物兼昼食散歩へ。いつもの東武ストアーでバナナ、もずく、朝食用のシリアル、そして禁物のお菓子少々を買い、脚を名戸ヶ谷病院の方に伸ばした。というのも昼食のための適切な店が近辺にないから。我が家から約4000歩ほどの新柏3丁目にいたって、やっと「桜寿司」の看板を見いだした。随分と立派な店構え、まるで料亭だが、ランチメニューが出されていたので、昼には身分差はないのだろうと、入店。先客はいたがすでに食事済みの様子で、板さんと会話を楽しんでいた。ちょっと危ない系の人。大学6年生の後半に住み込んで働いた国分寺のお店に似た雰囲気はあまりにも懐かしさを誘った。握りを頼んだが贅沢なネタはない。しかし、シャリの握り加減、酢じめ加減、上等。箸でいただくなんざ、もったいない。手につまんで口に運ぶ、いわゆる「江戸前立ち食い寿司」でいただいた。さすがに、添え物と味噌汁はそうはいかないので、やむなく、二刀流となったが。
 極上等の寿司屋を見いだし、ご機嫌で帰路に着いたが、いかんせん、背が重すぎる。ヨロヨロへろへろ。次回からは「桜寿司」のランチをあてにして「散歩」に出、帰路、KEIHOKUで少々お上品な食品類を購入するという、贅沢プランのコースにしよう。せいぜい月1ね。
セガン関係の原典を読む際、これまでは合理性・利便性を考え電子辞書に頼っていたが、フランス滞在時の初学びと同じように、ペーパー辞書を丹念に繰ることにした。せっかくの眼鏡の新調なのだから。いや、そうではなく、「学び」の本質に立ち戻ったのだぞ。
○今日の我が青年期の歌 ダーク・ダックスの歌、岸田今日子の語りで、NHKで紹介された番組を偶然視聴したのはいつのことであったか。
☆ポニー・ジャックス ロシア民謡 『鶴』 
https://www.youtube.com/watch?v=FoVMFCJ6pyY
☆元もとは伝承話であったのをロシア歌謡にしたもの。その原語(日本語訳付き)ピアノ弾き語り。
https://www.youtube.com/watch?v=meAT4lYmXDs 
埼玉大学勤務時にこの歌に接し、ぼくの愛唱歌の一曲に加えた。いろんな機会で歌った。けっこう評判が高かったと自負。ぼくのHNの由来でもある。次がぼくが歌った音律に沿っている。
https://www.youtube.com/watch?v=JTjPbkd_UlY 
○鶴の群れ写真は手許にない。昨年暮れ撮った白鳥の群れ写真で代替します。カモの大群と白鳥の群れとの交錯。「鶴」の歌に擬して言えば、カモの大群が飛び押し寄せる、身に降りかかる銃火、白鳥が兵士である。「鶴」の歌ができた元はといえば当時のソビエト兵士が広島に落とされた原爆の惨禍を目にして原詩を作ったとも言われる。

歌手が異なっても・・・すばらしい
https://www.youtube.com/watch?v=dpcB6y8ALLo
○FB投書より
 この春新任教師となった人から、こんな「つぶやき」を受け取った。 
「初めての授業への緊張感で胸が苦しいです。おなかも全然すきません。こわいです。でも頑張ります。」
 「つぶやき」だからとくに返信など求めてはいないだろうけれど、最後の文言「でも頑張ります。」の言葉がたいそう気になる。
○以下のように、返信した。
 初めての授業ですものね。ぼくも覚えのある緊張感です。「失敗」はしてもいいんですよ、取り戻す機会がありますから。
 目を閉じてちょっと深く息を吸い込んで、ゆっくり吐きましょう。
 固形物が無理なら白湯を飲んでね。
 頑張らないように。と言っても、あなたは言うこと聴かないだろうけど、授業は一回こっきりじゃないんですからね。
○「鬼」と呼ばれたぼくは、常に緊張感に苛まれていたのだ。強い時には膝ががくついた。頭が働かない。いつもは教卓から離れて授業をするのだが、そのような時には教卓にしがみついて授業をし、学生と目線を合わさないようにしていた。新任の時から退職間近まで、そのような状況がしばしばあった。その緊張感が襲ってくるおかげで、授業内容そのものに、緊張を持たせることができたのだが。