日本橋・三重テラス行き


○恒例にしていただいているトドちゃんにご支援をいただく買い物外出、今日は日本橋・三重テラスでの買い物と近在のフランス料理をいただく行程を選んだ。買い物はなんの障害も無くすんだが、昼食は思うようにいかない。狙いのフランス料理店は、店の入り口で、ぼくの上から下まで眺め「ご予約いただいていますか?」との問い。確かに店は混んでいたけれど、あのジロリの目はなんだ・・。三重テラスのイタメシの店も予約でいっぱい。近在のビルの中をうろついて、あれこれのランチの可能性を探った。結果的に「牡蠣」を提供する店へ。生牡蠣は当然いただいた。「宮城原産厚岸育ち」と「厚岸原産厚岸育ち」。後に残るのが前者。後者はさっぱり。客あしらいがあまりよくないが、ほとんど学生のアルバイトのようだった。
○このあたりは再開発されて賑やかなビジネス・レストラン街だが、トドちゃんは、開発前のこの近辺の会社で秘書の仕事をなさっていたとか。それにまつわるお話しをランチの間していただいた。ぼくの過ごし来た生活とは交わりようのない世界だ。
○野田君から久しぶりの電話。とりあえず28日午後1時から秋葉原で昼食会を決めた。
○我が青年期論雑記:2000年4月1日、成田空港を飛び立ち、同日パリに着いた。サヴァティカルで1年間を日本国外で研究生活を送るためである。正直にいえば、抽象的な研究テーマはあったけれど(フレネ教育研究)、それを具体的にどう進めていくかについてはまったく持っていなかった。第一、研究機関先に選んだのが研究的な関係を一切持っていない東洋文化研究所(INALO)、書面に書いた受け入れ(指導)教授は一面識もなく研究業績も知らない人で、在パリの日本人で、日本におけるぼくの知人のお嬢さんが、いろいろなつてを頼ってその教授にコンタクトを取ってくれ、ぼくを受け入れる旨、了解してくれただけのことである。結論からいうと、この「受け入れ」は、東洋文化研究所そのものは関与していないのであり、非公式でしかない。従って、フランス共和国そのものはぼくを研究者として滞在許可をしなかった。ぼくは一年間、フランス共和国で、ビジター(自由な行動を保障された訪問者である代わりに、国からは一切の利便が図られない滞在者)との扱いを受けることになる。
 (「序曲 フランスに入る」 http://eseguin.web.fc2.com/pdf/f00.pdf
 勤務校との関係でいえば虚偽申請によるサヴァティカルとなる(そんな意識は毛頭無いのだが)。今という時間軸で見れば、完全にペナルティ付きアウトである。この時代だからこそのおおらかさであり、強制送還されることなく過ごすことが出来たわけである。そして、ぼくにとっても、本当の意味での研究の発掘に繋がっており、心からありがたく思っている。
 研究の発掘はいくつかあるが、今日までの繋がりを持っているのは「パリ・コミューン」との出会いである。「パリ・コミューン」を研究したくてパリに行ったのではなく、パリにいて、知人のパリ滞在生活のお世話をしていて、「パリ・コミューン」に出会ったのだ。いや違うな。友人の元中学校教師の小沢允孝氏が「パリ・コミューン」に強い興味を抱いている風なふりをし−あえてこのような表現をしたが、実のところ、大佛次郎パリ燃ゆ』に描かれた戦闘と「革命」話が好きということだ―、「研究指導して欲しい」という言葉に真正面から付き合った結果、自分の研究対象そのものに「パリ・コミューン」を入れ込むことになり、それがサヴァティカルを終えてからもずーっと資料収集を続け、歴史事象を解き明かすという研究活動を続けた、ということだ。
 ぼくの「パリ・コミューン」研究は『19世紀フランスにおける教育のための戦い セガン パリ・コミューン』(幻戯書房、2014)に、形を残した。大きな人生的な区切りであると自己評価をしている。
シャンソン『サクランボの実る頃』の詩は、博士号を持つ銅工職人でパリ・コミューンの一員であったジャン=バティスト・クレマン(Jean-Baptiste Clément)が作詞し、それにテノール歌手のアントワーヌ・ルナール(Antoine Renard)が曲を付け、1866年に発表された。サクランボの実る頃の儚い恋と失恋の悲しみを歌った曲であるが、パリ・コミューンの崩壊後の1875年前後から、パリ・コミューンへの弾圧や1871年5月末に参加者が多数虐殺された「血の一週間」を悼む思いを込めて、第三共和政に批判的なパリ市民がしきりに歌ったことから有名になった。アニメ「紅の豚」の挿入歌である。
さくらんぼの実る頃 Le temps des cerises イヴ・モンタンでどうぞ
https://www.youtube.com/watch?v=edXFWik4ODA
☆写真は「サクランボの実る頃」の作詞者J.-B. クレマンの墓(ペール・ラッシェーズ墓地)