セガン再開

○しばらく、「セガン」から離れていた。再び離陸しなければ。
○目の不具合の進みが現れ始めた。未だ、その不合いは大きく不具合ではない。
○左目は「諦め」たが、せめて働く右目を使って、セガンをやり遂げたいと、原著読みが可能なようにと焦点をその作業に特化した眼鏡を新たにあつらえた。それはそれで視界がはっきりしたのだが、さて困った、モニターの文字読みには不都合となる。フランス語をペーパーで読み、その邦訳文をモニターに移す。その連続作業に支障が生じているわけだ。
○ならば、原著(ペーパー)とモニターとの焦点距離を近づければ、支障は改善されよう。ペーパーを立てかけて読む工夫をあれこれしてみたが、この小さな作業机面上では、それもこれも不可能だった。昨日、金猫でシャ・ノアールの眼鏡立てを購入したのは、これを譜面立てのようにしてみたらどうかと思いついたからだ。シロネコさんとツインで、マグネットでペーパーを止める…。
○机の後ろに「台」となるモノを置き、その上に「板」を渡し、さらに厚みのある「本」などを置き、二つの「眼鏡立て」を並べ、プリントアウトした原著をマグネットで止めた。おお!貧者の工夫。これで、作業が出来ないと、自分に甘えることはない。さあ、再開だ。

セガン1843年論文(あるいはセガンの白痴教育論)に対する、フランス王立科学アカデミーの評価のための審議録は、『科学アカデミー会議録 1843年度第2セメスター』(第17巻第24号)に掲載されている。朝から、ざっと見ていたが、ふと、冒頭の一語が強く目に付いた。PHSIOLOGIEとある。生理学。セガンの白痴教育論を「生理学」分野で審査したということだ。当時の「白痴」理解の根本のところをつかむことができる。これは大きな気づきだ。セガンは、1846年著書の序文で、「生理学的教育論」が課題であることを綴り、アメリカに渡って後の1866年著書に「生理学的方法」をタイトルにしている。それほど大きな概念として、以降、使用されることになった。今日のこの気づきを大切にしながら、セガンを読み込んでいこう。
○ちなみに、王立医学アカデミーでは「生理学」は第1部門になる。
○とりあえず、今日までの到達をふり返る。
セガンは、精神病棟部門医師の医療計画と医療方針に従属する義務のみを持つ「白痴の教師」にすぎなかった。白痴教育史に残した彼の貢献度の高さから、すでにフランス時代において精神医学界で高い評価(ある研究者によれば地位も)を得ていたと理解されがちであり、その理解に基づきストーリー化されてきたと研究史を評価しても誤りではないだろう。
 セガンの白痴教育への注目は、王立科学アカデミーにおいてなされた。私はそれを、多くはセガン家が築いた人脈が駆使された成果に負うと仮説したが、時代社会的に、ヨーロッパ圏の、とりわけ慈善的(今日でいう福祉)宗教家の間で、「不幸の存在」「外見がぞっとするほどの様子、本質がまったく絶望という白痴の存在」に対し、その解決方向が求められていたことと、セガンの白痴教育開拓とが結びついたという情勢があったことは無視し得ない(エドワード・セガン『白痴および生理学的方法による白痴の治療』1866年、参照)。科学アカデミーがセガンの白痴教育実践に即して、時代社会的なそのような課題に向かい合ったということになるのだろうか。
 科学アカデミーは、フルーラン(Marie-Jean-Pierre Flourens:麻酔医)、セル(Étienne-Renaud-Augustin Serres:1825年医学アカデミー会員、1841年科学アカデミー長)、パリゼ(Étienne Pariset:サルペトリエールならびにビセートルの精神病棟部門医師など歴任、1820年医学アカデミー創設に尽力)によって構成された小委員会で、まずは、男子不治者救済院における実践の課題検討を1843年5月8日に行い(テーマ「白痴の教育の新しい方法に関して」)、続いて同年12月11日「セガンの白痴教育論」の検討報告を行った。この検討の課題柱は「生理学―白痴と痴愚の青少年に適用された教育・訓練の方法に関わるセガン氏の研究論文に関する報告」であった。3人の報告者の内、セルとパリゼは医学アカデミーの第1分野に所属していた実力者である。
 小委員会の評価は後に具体的に触れるが、白痴教育の行方を予告するものであった・・。」
○西口敏治先生から「生活教育」5月号に寄稿なされた玉稿を送っていただいた。それへの返礼を兼ねて、次のように近況をお知らせした。
「小生の身体状況ですが、やはり目の働きが弱まってきています。眼鏡を新しく作りましたが…。
 あと、意気の高さ?に比べて左半身は改善されません。しかし、デイサーヴィスを受けるようになって(週2回)少しずつ脚の動きはよくなっているようにも思います。じっくり構えてすすんでいきたいと思います。
 「自主ゼミ」の件をfacebookで綴りましたが、きわめて少人数ならば、その中で過ごすことが出来るようになりました。でも、未だ、サークルなどの開かれたところでは思考と発話に混乱を起こしてしまいます。
 なお、fbに紹介した新任教師に、先生からのアドバイスをメールで伝えました。土曜日まで勤務がある身で、勤務時間拘束がきついようです。それで私は、こうしたお誘いは、こういうのもあるよ、ということで、教育実践を「自己完結」でなそうとしていることを「学び合う」ことをも採り入れるように勧めているのだ、とメールで語りました。
 近況報告も兼ねて、御礼をしたためました。ありがとうございました。」