スーパーへ買い物リハビリ


○久しぶりに新柏東武スーパーへ。左脚の足先、足裏の着地が大分しっかりしてきたように感じた。まだまだ十分な歩行とは言えないが。歩行足の幅が広くなっているのがうれしい。これで、ズリ足、躓き足も少なくなる。
○めんつゆを思い切って購入。うんと薄めて使用しよう。うどんは茹で玉ではなく乾麺を購入。朝食用のシリアルも購入。
○道端の生け垣の花が美しく咲き誇っている。薄紅色のバラの群れも心引かれたが、スマホカメラには思うアングルでは収まってくれない。真っ赤な小ぶりの花を撮してみた。
○AK氏よりセガン本の返還を郵送にて受ける。いろいろあったことだが、これで、すべては終わった。
○今日、「「奇跡の3点セットを起こそう」と、願いを立てた(誓いではなく)。
1.セガンの翻訳完成
2.杖無し歩行の旅
3.視力の改善傾向
セガン1843年論文訳出
(承前)子どもは、はしごの横木を握っているが、不安が高じてにぎりの力を緩めてしまう。私は、押さえている手の一つを離す。そうすると、(経験が私に教えてくれたのだが、落下を防ごうとする当然の感情の結果)下の横木を慌てて掴む。そこは私の手が新しく子どもの手を押さえるところとなる。もう一方の手も同じようにして低い横木に降ろされることになる。我々がはしごを下りる間にも、私の身体ははしごを素早く移動する。子どもの脚は、再び支えとなるものを求めて、私の右脚と休む暇無く、戦う。
 このようなことをしている間、どの子も直されるべき、障害あるいは病気の分野に関わる多くのことを、怠ることなく細かく分析するのは難しいほどに、白痴の子どものからだは伸びやかになる。そこまで動かなかった筋肉が、非常に強く緊張し、重みに耐え、あるいは、活動的な運動も意志が代わって働こうとしない衝撃にも耐えるのだ。上記の運動は、子どもにその動きに自由が多少とも見られるようになり、それによって子どもが手の筋肉の不安に有効に働く収縮をもたらせるように、逆さにしたはしごで繰り返される。
(☆訳出上、イメージがつかないのは、「逆さにしたはしご」、要検討)
 手の働きが掴みたいという要求に動かされ始めるようになるとすぐ、モノを食べたいという要求へ、生活の日常の要求へ、ついには子どもに石、煉瓦、ツルハシ、鋤、一輪手押し車(1)などを操作させるといったような、子どもの習慣とはかなりなじみのない活動へと適用させる必要がある。
(1)一輪手押し車は、バランス棒のように、立った姿勢のままでいたり歩いたりする時の平衡を保つのに非常に有効である。
スイレンのため息