昨日の浅草行きから

○もう40年も昔の話。「浅草に行きます」と知人に告げると、「どぜうを食べるの?駒形の」と問われた。知人は「dojyou」と発音せず、「dozeu」と発音していた。何も事情を知らないぼくは、「正岡子規が詠んでいる俳句に<あゆのおらぬ 下総の国や どじょう汁>と表記されているように、dojyouの音ですよ。dozeuじゃないです」と訂正して返した。同じ国語教育を専攻する身だったので、ことさら<正規表現>にこだわったわけだ。知人は、へへへ、と笑ったきり黙った。
 その後幾たびも浅草に行き、勤務する大学の指導ゼミナールうち揃って、「駒形どぜう」を食するようにもなっていたが、この頃には、あえて「<正規表現>との落差を気にもとめないようになっていた。まあ、それがいいってんならいいんじゃないの、オレはそう言わないけど、という、人は人、オノレはオノレ的な人生観の中に、「どぜう」と「どじょう」とをしまい込むようになっていた。
 ところが、人力車・花鳥風月さんに浅草周遊観光をお願いするようになって、「どぜう」はこの地域が創りあげた独特の表現であることを教えられた。「四文字かな表現は<死文字>として忌み嫌われ、<どじょう>を<どぜう>と表記するようになった」と。
 40年近く前のささやかな日本語表記論争?の回答を花鳥風月さんからいただいたことに、心打ち震えるほどの感動を覚えたのである。かつてのぼくなら「どぜうという表記は誤りです。」という嫌らしく「正しい文化」観を前面に押し立てていたわけだから。
○今日はすっかり怠け人。ただし、2009年秋頃のブログ日記を読み返して、改めてセガン研究の状況の確認をすることができた。そういう意味では、今進めている1843年論文翻訳の仕事に有用である作業だったということができる。
○ちょっとおちょくり記事を。
セガンの生育史は、もう、虚構を通り越してるで、ほんま。セガンは白痴教育の開拓者やからそれがまちごてないんやったら、あとはどうでもええんちゃうか?ちゅう声が聞こえてくるみたいや。んなんやったら、生育史、書かんといたらええのにな。
 セガンさん、近親結婚させられてますんやでぇ。
 「セガンは1832年には法律学を専攻しており 、1841年のアントワネット・コンスタンスとの結婚の時に届け出された身分証明書には弁護士となっているのである 」ちゅうんやな。これを書いた人(注:津曲裕次氏)によれば、このことはペリシェという人の意見やちゅうんやけど、ちゃうで。ペリシェさんは、そんな嘘、言うわけあらせん。あんたはんがペリシェさんの書いた文を読み間違えたんやんか。アントワネット・コンスタンスちゅう人は、セガンの(実の)妹さん。妹さんが公証人のウドム・ルソーさんと結婚した時の立会人の一人がセガンなんや。
 あといろいろあんのやけど、この近親結婚説はあきまへんなぁ。」