再録ドラポルト

鳥獣戯画展が上野で開催され今日が最終日だとのこと。聞こえてくるのは怨嗟の声。つまり、長蛇の列で待ち時間が長すぎて諦めたという人が多いこと多いこと。悠平君が昨日は諦め、今日も出かけたところ、「待ち時間40分」とあったので、よし今日こそ、と並んだが、さらに150分待ちとの掲示に行き当たったので諦めたと、FBに書き込んでいた。会場ゲートをくぐるのに40分、ゲートをくぐって目的(対象、お目当て)の入り口に到着するには、さらに150分、というわけだ。う〜ん
○ところで、鳥獣戯画って何だ?教科書で習っているから一通りのことは知っている。社会風刺?人間風刺?政治風刺?その時代社会人間を知るに恰好の文化財だとすれば歴史学をはじめそれぞれに興味関心を強く抱くものにとっては、どうしても観て、自分で戯画の意味するところを読み解きたいよな。
○これをフランスにあてはめて考えてしまうのがぼく。セガンの白痴教育事跡に関わる公文書記録を読み解いている中で、Delaportなる人物名が登場してきた。どうやら、セガンの前任となる「白痴の教師」らしい。この人物について情報を求めているうちに、Delaporte, Michel (1806-1872)に行き当たった。が、この人物は銅版画家。風刺画を専らとしたようだ。何を風刺した?その一つが次の銅版画。「王を求めるカエルたち(「王政の謀議」の寓意)」。王政復古の謀議の様子を描いている。

 彼のリトグラフはその他にもいくつか見つかっている。それらを一覧にして、いずれは、読み取ってみたいと思う。白痴たちに「絵」を教えた可能性がないわけではない。
セガン1843年論文翻訳 承前
第2節 非対人(?impersonnelle)模倣
要旨 ― まさに対人模倣のための観察。ある子どもたちには相互模倣をさせる。その他の子どもたちには一対一を。その他の子どもに関しては、その他の子どもと不器用な子どもとを観察する。彼らが見るものすべての模倣に取りかかるのを観察する。趣きも可能性もない状態しかないのだが。白痴たちは多くはこうした後者に属する。そして不器用である。この不器用であることは、一般に思われているような、知性の欠如の結果だけによるものではない。(というのも、模倣は、対応させようとする対象がどんなのであろうと、通常、推測されるような知性は少しも伴っていないのだ) 模倣が下手であるというのは、多くの場合、模倣のために使われる器官の拙劣に因っている。時に不器用さは、グラグラと揺れる対象の正確な像を創りあげようとする目線の定め方を困難にしてしまう。不器用さは意志が伴っていないところにあるというのが常なのだ。こうした言い分を実証するための私の実践にある大量の例(を示そう)。他と同じようにこれについても簡単に触れておこう。つまり、ただの一例を示すだけにする。イディオN... D... 10歳 は、手でものを摑んだままにしておくことが出来ない。ナイフ、フォーク、スプーン、いわゆる、彼には指を痛めてしまうように思われるが、無くてはならないもの。食べ物を自分で食べるようにと強いられると、まるで手に触れているのが苦痛な風で、彼は大急ぎで手で口に放り込むのだ。ただし、キャンデー大食漢、それ故にしばしばのどを渇かす彼は、秘書に飛びつくようにして、彼のために用意されていたコップを持ってこさせるという手段を見いだした。そして、彼は、取り巻く女性たちの満面の笑みにつつまれて、コップを手にしたのである。コップは彼の頭上50センチのところに置かれていたにもかかわらず、けっして壊れることはなかったのだ。なお、後に私は、3ヶ月間、1日あたり4時間、彼に筆遣いを身につけさせるべく働いた。このことや他の多くの事例から、私は、白痴は相互模倣をすることはないが、彼らは胃袋を満たす大きな喜びのためにしか、このような運動をすることはない、と結論づける。
○現況の知らせを知人へ
「・・・さて、小生の今の状況をお伝えいたします。
 セガンの論文(著書)の翻訳を手がけていることは変わりません。あてにしていたAK氏が最終的に、自分の能力に余る、との言い分で翻訳の仕事を降りましたので、「孤独な戦い」に入っています。もちろん、翻訳作業に伴う、様々な調査も行っていますが、ほとんどがフランス国立図書館のデータベース頼りですので、PCの前から離れる時間はあまりありません。
 こうした作業には、体力勝負となるところが多いのですが、比喩的に言えば「首から下」はデイサーヴィスやトドちゃんの支援のおかげもあり、次第にしっかりしてきました。脚の上げ下げだけで言えば、左脚が右脚に追いついてきています。
 「首から上」とりわけ目に関しては、左目は前と同じように中央部がゆがんで見えるため文字の識別は出来ません。右目は、このところ、縦線、横線が、しばしば波線に見えます。たとえば窓枠のような四角い形状のものを見ると、四周が波線状に見えてしまいます。ちょっと悪化し始めたのかな。中央部は変わらず正常に見えます。眼科医の診察では「変化無し故、経過観察を継続する」ということなのですが。
 両目でものを見るわけですが、ごく短い時間(1時間程度)の集中は困難ではありませんが、それを超えるときわめて疲労感が強まり、作業能率が上がらなくなります。従って、予測されていたよりも早く目の劣化が来ているのかなと、少々の危機感を覚え始めました。
 ですが、気落ちせず、一歩一歩、すすめていこうと、改めて決意した今日でした。 」