梅雨空の中、秋葉原へ

○昼前に家を出て午後1時に秋葉原で野田君と合流。目的の店「三友」へ。久しぶりのこと故店の様子も雰囲気も忘れてしまっていた。急な階段、ちょっとおもてなし風の客席。ああそうだったなあ。かつてはフグを食したけれど、今日の目的は関西風鰻重。ニッコリ笑顔で注文を受けてくれた。よかったよかった。

○このあとは、近くのルノアールで少々お茶をし、船橋に出て鹿児島物産店で屋久杉ボディーのボールペンを購入、などなど。さらに和喫茶でお茶をし、夕食をハゲ天で「スタンダード定食」をいただいた。さあ、お別れしましょうと、東武デパート1階に降り、ジュエリーの店みせをふり返ったら、にこにこ笑顔と目があった。これはご挨拶をと、いつものあの店のカウンターへ。店長役の斉藤さんのお相手をいただいて少々お話し合いを。楽しい一時でした。
○今日もと言うべきか、語りのほとんどはぼく。ぼくの語りの中から何かをつかみとって貰えれば、と、「学ぶ=真似び」のぼくの体験、「社会的人間的信頼関係」の崩壊(のぼくの近ごろの体験)、それからぼくの特異の家族関係などなど。ぼく自身も語りのなかで自分を整理していた。そういう意味で、野田君に感謝しなければならない。
○野田君にlineをつないで貰った。
○今日一日の雨を予想し、また自身の身体がどの程度回復しているのかを確かめるために、介護靴ではなく、山歩き用の革靴を履いていった。久しぶりの感覚にそれを味わうことの出来る喜びもあったが、反面、やはり左脚にはとても重く感じられ、幾度も躓き転びかけた。
セガン1843年著書 翻訳 承前
 到達したことでは、子どもは未だほとんど、自分が使う器官に対応する観念を得ていない。気の向くままでしか感覚されない外界現象との接触を開始するだけだ。だが、ここには、実証的教育・訓練における二つの大きな局面の交接点が見いだされる。私がこの推移を指摘するように、どちらかと言えば、我が方法の中で密接に関連しあっているものとして注意を促すためにこそ、また、個体性のすべてのやり方を空隙なく包含する方法を、実際に観察するのに重要である。
 こうして、移動の能力と個人性の観念が同じ秩序で並ぶようになった後、非人的模倣の運動が、各種の位置と対象が不安定に変わりやすい形状の修正を含む。すなわち、人と対象との関係。
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