今日はセガンに集中日なのだが…

○昨日の疲れからだろう、今日は起床が少し遅かった。
セガン1843年論文翻訳 第3章承前 まずは入力から。目と左手の脱力感との戦い。それにしても3章は長い。
「方法 ― 形状観念および景(なかんずく主要な)の観念は、一定の景に置かれた物体の配置のそれ(=観念)に先行するという理論は、まさにその通りだ。だが、実際には、多くの子どもは、ならびに白痴はきわめて稀に、景と輪郭の抽象的なお定まりを摑むことができる、というのはのけっしてそうではない。ただし、この観念を前提とした模倣運動によって準備されていれば話は別だが。しかし初歩の状態にあり、とても感じやすい状態にある者たちには、ジェスチャーが知性を欠如させた判断にしてしまいかねない、というのは、その通りである。
 従って、理論にとっては残念なことだが、実践において、私は、対人模倣をきわめて明確な三つの活動を含む非対人的模倣へと続けた。
 一つは、私を模倣することによって、日常用いるものをずっと離れたところにあるそれこれのものの中に混ぜ入れることである。二つは、日常使用しないものを手に取り、それらを平面図面上に、元の置いてあった姿を変えないようにして、置きかえることである。三つは、同時に、私と一緒に平面図面上に簡単な線を引くことである。
  第一によって、子どもは、人真似ジェスチャーで、彼が私を観た動作のままに、正確に繰り返す。さらに、彼は、事物をすべて、置ける場所に、きちんと置き、ものを分かりやすい特徴ごとにわけ、置くところが可能なように、事物を移動させる。こうして、子どもは、彼と所与の事物との間の第一の関係を創りあげる。
 第二によって、子どもは、私が指示しようとする運動や、習慣や記憶によって彼が日常用いるものに働きかける運動を、彼自身には形状の価値を得させることのみにしかできない対象に、対応させる。それは模倣の助けになるのだ。
 第三によって、子どもは、二者間の関係性を定める。その上、その活動はただたんに様々なものを動かす目的のためにはあらず、単純なものであるなら関知しやすい事象を、彼を接近させることによって示すためでもある。」
○今日のページビュー最終 64091  どんな方がこれほどまでにご覧下さっているのでしょうか。