結局、大改造・

○疲れすぎると眠りが浅いのか。いつの間にか人体改造がされているようだな。間違いなく「大老い」。(たいろうーい、とは読まないように、と自分に言い聞かせ)。朝5時半から作業。午前中で終わるかと思いきや、さにあらず。身体は思いの外動かない、すぐ疲れる。
○午後3時過ぎ、部屋全体の整備を終了。パチンコ屋なら「祝新装開店!」というところか。ほっと一息をつこうと。久しぶりに、フランス映画「セラフィーヌの庭」観賞。女ゴッホといわれたセラフィーヌの半生を描いた秀逸な作品。画風がゴッホ的であると同時に、終末期に精神を病んだということもゴッホ的。

○N先生から「セガンの1843年」の感想。ありがたいこと。以下。
 「お元気で、意欲的で、さすがですね。足立先生の「入念に生きる」ということばに励まされ、ぼくも毎朝、きょうを「入念に生きる」とは何することか、どう過ごすのかを問うておりますが、寝る前にはいつも、はてきょうは何してたんだっけと考える始末です。
 毎回セガン研究、送っていただき有難うございます。しかし、悲しいかなうまく消化できずに申し訳なく思っています。
 いま先生があきらかにしようと試みておられることは、結局なぜにセガンがアメリカに移住という道をたどることになったのか、そこを解明しようということなのでしょうか。「なぜ、1843年か」というタイトルも以前読んだはずですが、ぼくの中ではうまくつながらず今回のはちょっと難しかったです。いつか、前にさかのぼりつつ通して読まないとつながってこないのかもしれませんね。」
○返信。以下。
「メールをいただき、ありがとうございます。
 あんなによく知られ、その実践的提言もほぼ定式化している、かのペスタロッチやデューイ、そしてフレネ。それらは現代もなお学ばれ、研究されています。
 今なぜペスタロッチか?デューイか?フレネか?そういう『問い』が、やはり、いろんなところで語られます。
 1970年代80年代には、「歴史的制約(限界)をうちに含んでいることを踏まえ、批判的に継承する』などとの言辞が添えられてそれらが学ばれ、研究されました。
 セガンも同じです。
 では、現代では?やはり『歴史的制約…・云々』と冠をつけるのでしょうか?いえ、私はつけるのでしょうか?
 先生からそのような厳しい問いをいただいたと感じています。
セガンを研究する意義は何なの?」
 セガンが1848年革命に荷担していたことは事実であることがようやく判明したばかりです。2010年の拙著の当事史料発掘による記述が、2012年10月のセガン生誕200周年記念国際シンポジウム(於:フランス・クラムシー)においてメイン報告者(フランスの医学博士、セガン研究で博士号を取得)の中に組み込まれたことで、国際的には一件落着しました。でも、我が日本でそのことを知る人はほとんどおりません。「もう、セガンは終わった人だ」という認識がそうさせています。
 誤訳、誤認に基づくセガン像は定着しています。それが私に、「1843年のセガン」をこだわらせているもっとも大きな理由です。我が国に語られる「セガン」は、フランス語を解しないS氏の「40年間に及ぶセガン研究」に象徴されている、と申し上げればよろしいでしょうか。
目が見えるうちに決着をつけることができればいいのですが。」