ジャケット、ベスト購入、セガン論文の訳について

○トドちゃんの支援をいただき、秋葉原御徒町へ。今日は天気があまりよくなく、ぼくもこの数日の疲れがある身体だったので、トドちゃんにご迷惑をおかけした。
○夏のジャケットをもう1着欲しいと思っていたし、ポケットたくさんのベストがあれば便利だろうなと憧れていたしで、御徒町に出た。吉池で昼食を摂ったあと、吉池ビル内のUNIQLOでジャケット、松坂屋パークプレイス24内のアートスポーツODBOXで登山用ベストを購入、ベストはかなりの値引きだったのでお得感いっぱい。ポケットもいっぱい。背中の布をベリッと剥けばメッシュになる。「夏の暑い時に布を取ればいいわよ。」とトドちゃん。ふと、因幡の白ウサギの歌が頭の中を流れた。
 そのあと秋葉原に移り、駅構内の軽喫茶でしばし休息後、ちゃばらへ。トドちゃんは空きトックリをぶら下げてきたのでそれを満タンにする目的が、ぼくは乾麺の補充が目的。それぞれ目的プラスαを果たして、お別れした。今日も心豊かなリハビリの機会をいただきました。1万歩越えの歩数。
○帰宅したら、待望の本が届いていた。ぼくがセガン研究に参入するきっかけになった本だ。それを大幅に書き換える作業を現在進行させているということ。

 上の写真の右の記述。「不治者施療院理事会への報告=サルペトリエール院における実践の最初の三ヶ月間のまとめ(1842年)」この記述と出会ったことがぼくをセガン研究に本気に向かわせたことになる。
セガンの原書もまったく未入手の2003年11月のある日、「セガンの実践の記録が中野善達さんの手で訳されて出版されているけれど、今は古書でしか手に入らないから、古書店で手に入れて下さい。」とのS氏のお話で、「S氏の仕事を手伝っているのに何でぼくが本を入手しなきゃいけないんだろう?先生はお持ちなんだからコピーを下さればいいじゃないか。」と思いつつ、インターネット古書店で検索したら、札幌の「書肆吉成」に在庫があることを知った。注文し、本は届いた。開いてみて、この記述にぼくは飛び上がらんばかりに驚いた。
 フランスにおけるセガン研究や紹介をインターネット検索で閲覧する限り「サルペトリエール院」とは無縁であると確信していた。しかし、入手した中野善達訳本を見ると、あたかもその言辞はセガンの原著に綴られているかのごとくであり、それに従えばぼくの出していた結論はひっくりかえってしまうわけだ。信じられない。
 その後もインターネット検索を中心にし、セガンのフランス時代の足跡を解明する作業を続け、どうしても、中野善達氏本に綴られている言辞に信を置くことができないと思いつづけた。
 セガンの原著を入手すれば問題は簡単に解決するのだが、その原著閲覧は日本にいては不可能なことであった。不思議なことってあるものなのですな、日本語訳があるのだから、原著があるはず、しかしそれの閲覧の機会は与えられない…。こんな「研究的閉鎖世界」に対する怒り、苛立ちも、ぼくをセガン研究を本気にさせたことになった。
 この記述は中野善達氏の作為である。「サルペトリエール院」だけではないのだ、「不治者施療院理事会」も作為。そんな組織など無い。史料にあたって確認することをせずして、おのれの解釈のみで綴った、ガセネタもガセネタ。それを信じてその後の研究が進められてきたという事実。
○再入手した中野善達訳本を前にして、こんなことを強烈に思い起こさざるを得なかった。再入手先は、図らずも、「書肆吉成」。入り口への導きと出口への導き、ということだ。
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